2023.09.06

この世界は、わたしよりずっと大きい誰かが地球を箱に入れてシミュレートしていて、これから起こることがすべて決まっていることを知っている。そして、わたしという自我は存在しないのだと、だれかにあやつられているものだということも知っている。まわりのひとはみんな、自我をもっていない。というか、自我をもっているのはこの地球でわたしだけだ。
わたしだけだった。

病気になったのは、ちょうど去年のこの頃だった。病気をなおす薬を飲み始めてから、自我がぼんやり薄くなっていくようにおもえた。わたしがわたしの生産性をたもつためには、その薬を飲まずにいきることはできなかった。世界とわたしに絶望してしまったから。いくつもある道の先がどれもどろどろした黒いのだって、知ってしまったから。希望の光を灯すのとおなじように、わたしは薬を飲んだし、いまも飲んでいる。

わたしはわたしがなにかになれることを信じている。だからぼろぼろの身体で、ぐちゃぐちゃの心で生きているのだけれど、もうやめてしまいたい。
わたしは、うれしいことをうれしいと、おいしいものをおいしいと、愛するひとを愛することを望んでいただけなのに。病気はなおったことにされて、わたしにあった自我はなくなって、頭がわるくなりました。

だからぜんぶやめてしまいたいのに、わたしはなりたいわたしになれないと苦しくなります。なにかになろうとすることは痛くて、なにかになれないと苦しい。

わたしはだれかを愛したい。いままでだれかを愛したことにしていたけれど、なにも満たされないことをしってしまった。薬品によって生成される愛があるなら、その水を飲みたい。じっさい、わたしはお酒を飲んで感覚をあやふやにしたり、煙草を吸ってうそつきの幸福に満たされたりしています。ところでどうして、気分をよくする薬は病院でもらえるのに、しあわせになる薬は違法なのでしょうか。どちらを飲んだわたしも、ほんとのわたしじゃないのに。

わたしがこの世界を生きるただひとつの理由、わたしは愛するひとといっしょにしにたい。

『「愛することが生きる価値よ。死ぬことで愛を証明したくなるほどの、うつくしさ、それが生きることだと、信じてしまう」』

ああ、うつくしいね。それがまちがいをただしいものにするただひとつの手段ですから。

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