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死ななきゃ日々は続く.20240216

雨の日はうっかり眠りすぎてしまう。
低気圧にめっぽう弱いわたしはなかなか起きあがれなくて、気付いたときには時計の針は1時を指していた。
こんな日に寝坊だなんて、わたしにはほんとうに嫌気がさしてしまう。カロリーメイトを流し込んで、渋川行きのバスへ乗り込んだ。

バスに身を委ねると、数分もしないうちに景色は見たことの無いものに変わった。この街に来てから3年が経つのに、わたしは前橋より北に行ったことがなかった。東北から来たわたしにとって、群馬は東京へ通うための踏み台にすぎなかったから。嘘だ。
そうやって嘘をついて、適当な言い訳を並べてずっと逃げてきた。今、逃げて逃げて行き着いた先にわたしがいる。

ひとついいことがあった。
渋川駅で伊香保行きのバスを待っていると、降っていた雨は次第に凍ってゆき、雪へと変わった。『雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう』とだれかが歌っていたように。
18年宮城に住んでいたけれど、雨が雪に変わる瞬間は始めて見たから、雨が降る日も少しは悪くないな、と思えた。

バスへ乗ると、それまでの閑散とした空気とは打って変わって観光客で溢れたバスは賑わいはじめた。
ひとりにはすこし肩身の狭いバスに揺られながら、ずいぶん遠くまで来てしまったな、と思った。

東京にしか興味ないから、病気が流行ってるから、友達いないから、体調がよくないから、忙しいから、雨が降ってるから。いろんな理由をつけて目の前にある物から目を逸らし続けて生きてきた。
ほんとうにたいせつなものって、手の届くところにあるんだよ、って昨日のわたしに教えてあげたい。それを知りながら、明日のわたしも心地いい怠惰の海に溺れ続けている。傷口に水が染みないように、日々の選択を取り繕いながら。

伊香保温泉の少し前で降りると、わたしの住む街では見ることのできない銀世界が広がっていた。

知らない国にタイムスリップしたような気持ちだった。賑わいながらも日々の喧騒と切り離されたその街は、いつも吸っているそれとは違う空気の味がした。

今までわたしはその空気を知らなかった。時折わたしは、賢いふりだけ上手な世間知らずなんじゃないかな、と劣等感に苛まれることがある。わたしの世界はいろんな土地を巡り、移ろう季節によって彩られた日本の姿を見た人より狭いのではないか、と考え込む。

実際、わたしはこの国に対する知識は全然ない。けれど今は、知識や何かに対する愛は他者と比較する必要は無いんだな、と思えている。
みんな勝手に誰かを信じて、何かを愛している。そんな愛が誰にも証明できないからこそ、わたしはわたしと、わたしの決断を愛したい。

知らないところへ行くことはこわくて、今も胸がどきどきする。それでも、誰かが世間知らずと呼んだわたしを、わたしくらいは愛したい。だって、そんなわたしを否定することは、20年間逃げ続けて、なんとか生き延びたわたしを否定することになってしまうから。

そして、逃げ切った先で見たわたしだけの景色を、愛したいんです。

今まで温泉というと少しとっつきにくい印象があった。お湯なんて家でも張れるし、わざわざ外に出なくても家で休みたいだけ休めばよかろう、そう思っていた。
でも、景色を見て、空気を感じて、いろんな人が長い時間をかけて愛した伊香保という地を肌で感じると、そんな野暮なことはもう言えなくなっていた。
広大な森林に降り積もる雪のコントラストにひっそりとそびえる、日々の憂いも忘れてしまうほど幻想的な理想郷。
長い年月を重ねてもこの地をそのまま体感できるということがとても不思議で、自然に時間を超えているような感覚だった。

渋川駅に帰ると、雪は止み再び空が泣きだした。
冷たい雨に打たれると、長いねむりの中から醒めたような感覚になった。
なにかをひとつ得るたびに、なにかをひとつ失っているわたし。
昨日を落として、今日を拾って、明日は?
明日を落としても、旅は続く。

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