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長編連載小説 Huggers(5)


不動産屋の男が去った後、西野裕子は自分が取返しのつかないことをしたと気づく。


         裕子     1 

 西野裕子は動揺していた。
 不動産屋の男がアパートの敷地を出て行くのを見届けると、急いでスマートフォンを取り出し、短いメッセージを打つ。
 ほどなく着信音が鳴った。数行の返信に目を走らせると、裕子はほっと息をついて奥の和室に行き、本棚の上にのせてあったノートパソコンを座卓に移動させて電源を入れた。
 パソコンが立ち上がる間に座卓の上の湯飲みを片付けようとして、自分の手が微かに震えていることに気がついた。湯飲みを流しに置いてふとキッチンテーブルの上を見ると、不動産屋が残していった名刺がのっている。
「はせがわふどうさん、さわたりてつし」
 声に出してみると、先刻助け起こされたときのがっしりと力強い腕の感触がよみがえった。
 食器を洗って和室に戻るとビデオ通話のソフトを開き、壁の時計に目をやる。
 メッセージでは「14時15分ごろ」と指定されていた。
 まだ五分ほど間がある。裕子は南側の窓から見える大家の家の庭の木立に目を向けた。
 ほとんど裸の木々の枝にしがみついている数枚の枯葉を風が容赦なくなぶっているのが見える。それでも都心に近いこの住宅街では、風も太陽も何もかも、まるで飼いならされているかのようにおとなしく生ぬるい。
 裕子が育ったのは、関東地方の見渡す限り田んぼが広がる小さな町だった。さえぎる山や森がないため冬は寒風が吹きすさび、夏は太陽が直に照りつける。
 母親は地元の小学校、父親は中学校の教員で、二人とも生真面目であまり感情を表に出さない人たちだった。
 母親は冷たいというわけではなかったが子供たちに対して淡白で、共働きでいつも疲れていたせいかスキンシップがあまり得意でなく、抱きしめてもらった記憶はない。逆にまとわりつこうとするとべたべたするなと怒られた。
 小さい頃はそれが悲しかったが、今思えば母親自身、おそらくそうして育てられたのだろう。
 母親似の老け顔のために小学校一年の時に男子からつけられたあだ名が「オバキュー」で、中学も地元の公立に通ったため、そのあだ名は進級してもずっとついてまわった。
 中2のときに同級生の男子を好きになったが、バレンタインデーにチョコレートを渡そうとすると「うわうわうわっ、オバキューが来た!」と逃げられ、それ以降、誰かを好きになっても自分から告白したことはない。
 高校は女子校でその後看護学校に進学したため、アイドルやスポーツ選手に夢中になった時期はそれなりにあったが、実際に男性と接する機会はほとんどなく、ましてや親密な関係など縁がなかった。自分が日常的に人とハグすることになろうとは、当時は想像もしていなかった。
 看護婦(当時はまだそう呼ばれていた)になり、小児科に配属されて入院患者の乳幼児に接して初めて、自分の特技に気付いた。
 もともと特に子供好きというわけでもなかったが、母親がいくらあやしても泣き止まない子が、裕子が抱いた途端にパタッと泣き止んだり、機嫌がよくなるのを日常的に経験した。最初は自分の抱き方がうまいせいだとひそかに気をよくしているだけだったが、そのうち傍目にも顕著になって、患者の親や、同僚から頼りにされたり感謝されたりするようになった。
 しかしそれだけのことだった。まもなく病棟から外来に配置換えになり、その後小児科からも離れて赤ちゃんを抱っこする機会もなくなってしまった。

 初めて大人と「ハグ」をしたのは、27歳のとき、相手は名前もよく知らない男だった。
 3年間に3回勤め先の病院を変え、4回目の就職先を探している時期だった。
 どこに勤めてもどういうわけか婦長や先輩とうまくいかず、、きついシフトやみんながいやがる気難しい患者を頻繁に担当する羽目になった。
 親しい同僚からは「もっとはっきり自己主張をしないとだめよ」と助言されたが、自分に自信がないのでどうしても嫌と言えず、ストレスから体調も崩して三つ目の病院も退職したのだ。
 自宅に閉じこもっていたとき、以前同じ病院に勤めていたことのある友達から「近くまで来ているから」と電話で呼び出された。

 彼女は喫茶店で、「自分らしく生きるセミナー」を見つけたと楽しそうに語った。友達は裕子と同じように気が弱くて思ったことが言えず、二人でいつもぐちをこぼしあう仲だった。
 だが、久しぶりに見た彼女は生き生きして数段美しくなっていた。メークも服装も垢抜けて、そのセミナーで知り合ったという優しそうな彼氏の写真まで見せられた。一緒に働いていたころよりずっと輝いている。
「裕子も行きなよ、このセミナー。私の紹介なら少しだけ安くなるんだ。性格変わるよ。言いたいことがビシっと言えるようになる」と友達は言った。
 無職の身にはつらい10万円をつぎこんで参加したその心理学セミナーは、閉鎖された空間でグループやペアを作り、「実習」と称してお互いの欠点を面と向かって言い合ったり、他人に言えない秘密を打ち明けさせられたり、「私は絶対できる」と何度も連呼するなど、心理的に追い詰められるような過酷なワークが多かった。
 結果からいうと裕子にはほとんど効果はなく、終ってしばらくの間は自分が積極的になったような錯覚に陥ったが、ほとぼりが醒めてみると以前と少しも変わっていないことに気づいた。

 ただ衝撃的だったのが最終日の「出会いの実習」だった。大きなホールに集まった百人近い参加者が丸くなって立ち、内側と外側のきれいな二重の円をつくる。そしてお互いに向き合い、主催者の合図で一人ずつずれながら全員と「出会っていく」という進行だった。
 向き合った二人の出会い方は「一、ハグ」か「二、握手」か「三、見つめあい」だった。
 お互いに自分の好きな出会い方の番号を、立てた指の数で示す。
 それが一致しなければ、何もしないで終るか、相手に合わせるかどちらかだ。
 実習が始まり、人と目を合わせることが苦手な裕子は、最初の相手とは握手をした。たいがいの相手は同様に握手を選択してきた。ジョン・レノンやカーペンターズの叙情的な曲が流れる中、裕子はただ早くこの実習が終ることだけを祈りながら、目の前の相手と次々に握手をしていった。

 何人目の相手だっただろうか。10人目か11人目かそれくらいだ。中年のサラリーマン風の男が初めて指を一本立て「ハグ」のサインを出してきた。裕子はあまりにも驚いたので混乱し、自分も同じサインを出してしまった。
 あっと思ったが訂正する暇もなく、男は近づいてきて裕子の体に手を回した。動揺しながら、裕子も相手の背中に手を回した。合図があるまでの間、ほんの5,6秒程度だった。体が離れたとき、男の目に大粒の涙が浮かんでいた。

 「次の人と出会ってください」と主催者が言うと、男は裕子を見つめたまま、突然堰を切ったように号泣した。

(つづく)

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