虫と死(variation 2):花、虫、生殖

根津美術館で、同館蔵の喜多川相説作《四季草花図屏風》を一度だけ見たことがある。わたしは花をこんなにも神経質かつ露悪的に描く絵があるのかと思って驚き、すっかり魅了された。

魅了されたあまり、花一つ一つの病的なたたずまいや「花の死体」「花の首」「斬首された花」といった素性の知れない言葉ばかり感想として持ってしまって、作者・作品名等の周辺情報を全然覚えていなかった。

六曲一双の屏風ではあったと思うが、全体像さえあやふやな始末。

その絵が根津美術館の喜多川相説作《四季草花図屏風》だったというのも、わずかな記憶から拾い集めた断片および記録から推定したことである。だから何だか自分の妄想だったような気がしてくるのだけど、あの花は異様でよかった。川端康成『禽獣』の女の名も「千花子」であった。


花が生殖器みたい、というのはよく言われることだし、実際そう。

花や、それを切って飾る人間の感覚をグロテスクだというなんて、もはや陳腐で恥ずかしい。
恥ずかしさをおして一応言うけれども、
無抵抗な生き物を育てて適齢期になったらその生殖器を切り取り飾る、とか言ってしまったらやばさしかない。

ただ一方で、花に人間の感覚や倫理を持ち込むのも、いかがか。

人間含む哺乳類の生殖器は、そんなおおっぴらに見えるような場所にない。きっと色々合理的な理由があってそういう場所にあるんだと思うが、いずれにせよ、美しく香り高く、他の生き物を引きつけようとする花とは発想が違う。動く生き物と動かない生き物の感覚は全く別のものなのだろう。当面は、花のことをわたしの感覚でおしはからずにいたい。


そう思ったとき、またまったく異質の生き物に思えるのは虫である。おなじ動く生き物なのだが、わたしとはまったく違う。

そんなに虫に詳しいわけではないけれど、虫の中には幼虫時代、つまり性的に未熟な時代のほうが成虫時代よりも長いものがある。身近なのがせみだろう。せみは羽化したらいっぱい鳴き、卵を生み、死ぬ。蜉蝣の成虫にいたっては、もう口さえない。体の作りからして生きる意欲ゼロ。


以前ははかなく切ない生き物だなあ、と思ったものだ。子供を産んですぐ死んでしまうなんて、生きた甲斐がない。現代の日本に住む人の尺度で見て、大人時代こそ生命の本番だという前提の上に立ってみていた。

でも違うんじゃないか。彼彼女その他らの虫生において、本番は幼虫時代なんじゃないのか。成虫時代なんてのは、幼虫時代を生き抜いた最後のおまけみたいなものではないか。


さらに想像は飛躍する。人間は、子どもを生み育てられる程度に自分が育ちきる前に性成熟する。生理がきだしたころの自分の体格を覚えていないが、おそらく背は今よりも20センチ以上低く、体重も30キロあったかあやしい。
そうして、女性の場合は本当に必要になるずっと前から、生理とかいう苦行にすり減らされる。空間というのも変だけど、体の中の一角に、生殖を担う部分があるということに少しずつ慣らされる。わたしは先々次の世代を生まなくてはいけないのだ、そう作られているのだ、この体から逃げられないのだと、思い知らされる。

一方虫の場合、卵を生むようになるのは成虫になってから。性は幼虫の頃から持っているのかもしれない(知らない)けど、幼虫と成虫の間には変態という大きなイベントがある。虫は自分の体を脱ぎ変えられる。

もしわたしが虫だったら。自分の人生の9割以上を、自分の性も自分の下の世代のことなども全く考えずに生きていられたならば、それはどんな日々だったんだろう。自分のことを、他の人のことをどう思っていたんだろう。
性というものに(受け入れてはいるものの)くびきを感じているわたしは、虫の幼虫時代というのは本当に自分自身でいられる時間なのではないか、など、勝手に夢を見てしまった。


しかし、夢はさめるから夢なのだ。虫は、体を脱ぎ変える。生存、成長に適したからだから、生殖に適した体に。
ある日、生殖に最適化した体になってしまうときの絶望感はどんなだろうか。目覚めてみたら、もう自分に口がなかったら。わたしはまだ生きているのに、わたしの体はもうわたしのために存在していなかったら。

幼虫時代を懸命に生き抜いた挙げ句の果てがそれって、本当にすごい仕打ちだな。
虫というのは大概成虫のほうが美しい。幼虫が身を隠し守るのに適した姿をしているのに対して、成虫は存在を顕示するかのように華やかだ。でもそれが絶望の姿なら、なんと皮肉なことか。そして、本当に自分自身でいられる幼虫時代に、自分を隠すような姿で存在しなくてはならない矛盾の苦しさ。


こう思うと、人間がファッションを発明したのは、実はなによりも大事な発明なのではないかという気がしてくる。装うことは、人間の体を持ってうまれた自分の運命に、相対し、抗ってゆくための最初の一歩だ。


わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?