An angel has gone

今日という日に馴れはじめてしまっている午前11時、その頃合いに、窓から飛び込んできた白い生き物。
無風の室内の吹き抜けの下でも風にあおられたかに見えた。それほどおぼつかない、コケティッシュな仕草でそれは飛び、窓辺の洗濯物の袖口にとまって翅を開いた。
蛾だ。

蛾、という言葉がもたらす嫌悪感は一瞬で消えた。同じくらい瞬時にso translucent, translucent, この言葉を手放せなくなった。
日本語に蛾というものを評価する語彙がないから英語が飛び出てきたのかもしれないけど、たぶんそれだけではない。
その蛾の持っていた白も、翅の色も、わたしが母語の中に持っている語彙になかったからだ。

青も黄も一切含まない、雪の色をしていた。そんなに濃い白なのに、その翅は透けていた。信じられなかった。
うだる日差しの中に突然雪の子が、こんなわたしのところに天使がやってきてくれてしまった。

わたしはかつてリスにスマホを向けて、即座に逃げられてしまったときのことを思い出していた。
でも、彼女(性別はわからないけれど、たぶん雌だ)は少しもさわがなかった。
わたしが何枚写真を撮っても、ずっと穏やかだった。

それからは、お互いもう相手のことを見なかった。

2時間ほどして、家を出ないといけない時分になった。彼女のことは気がかりだったが、窓を閉めた。まさかずっと同じ部屋にはいるまい。

電車の中で、彼女のことを調べてみたら、なんでも主食はキンモクセイらしい。マエアカスカシノメイガさん。なんてやさしい初夏の申し子、もう泣きたかった。
ストレージ不足のため、写真のバックアップが取れていることを確認して、消した。

夜11時頃、帰宅した。
締め切った室内はもう人の住むところとは思えない。窓という窓を開ける。
冷凍庫から作り置きを取り出して、ひととおり、ひんやりで遊んだら温め、適当に座って食べる。

そうしたら、また、白い影が舞った。
こんな暑いところに、まさかずっといたのか?今日半日、わたしといてくれてたのか。

慌てて、彼女が翻ったあたりを探すが、本当におとなしい生き物で、全然どこにいるものやらわからない。

おどかすのも嫌だからとりあえず写真を見返そうとしたら、何を勘違いしたのか、バックアップは取れてなかった。
An angel has gone. 当初この記事のタイトルは An angel comes to me.だったのに、変わってしまった。

落ち込んだ。あの日差しのなかの彼女はもういない。こうなったらわたしはいっぱいいっぱい思い出して、書いて、彼女を取り戻さないと。

そして、なんとかしてこの部屋から逃がしてあげないといけない。
まじで見つからないんだ、ほんとに静かな生き物だ。

人間は、こんなふうに静かに生きていられない、息をすれば音がする、望まなくたってお腹が鳴る。
キンモクセイの葉っぱでは生きていられない。
それなのに、こんな天使に出会ってしまった。

Where are you my angel?
何回呼びかけても、彼女の言葉はわたしにとっての音にならない。わたしの言葉は彼女の言葉にならない。

彼女だって、もし大きな胃があれば牛肉を食べたかったのかもしれないのに。
わたしには、彼女が天使に見えてしまった。

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