この道は失語に至る

サンチャゴ・デ・コンポステーラにゆく道は、丘につぐ丘である。
夜は星がのぼり、昼には泉がわく。
わたしたちの足の下には、やわらかな草があって、折れ伏しては起き上がる。
わたしたちの足は地を踏んでいるのではない。地の上の草を踏み、地と草のあいだにある空気のかたまりを踏んでいる。
この体はいま、空気に乗っているのだ。信じられないが、信じられないと思ってしまうのが人のはかなさである。

サンチャゴ・デ・コンポステーラのことをはじめて知ったのは、高校生の頃だっただろう。帆立の貝殻、イベリア半島の果てを目指す巡礼の道、「星の草原」とでも訳してみたくなるような土地の名前、全てのモチーフが完璧だった。
しかしまさか自分が、サンチャゴ・デ・コンポステーラへと発つことになろうとは思わなかった。

この道に吹く風はいつだって海の階調だ。夜明けの海の青、昼間の海の白、全部まつげに吹き抜ける。
「いつだって」というのは、朝昼夜時間帯の話ではない。おのれの道のりの中の、どの時点・どの地点にあるときでも、という意味だ。

実のところ、サンチャゴ・デ・コンポステーラから大西洋の海岸線まではいささか距離がある。
それでもここが海の巡礼地であるのは、この道をあゆむ人の目に、はるかの大西洋が映り込むためだ。
その像は、大変に小さくて人の目には見えない。映り込んだ瞳の持ち主自身、自分が大西洋を見ているのだと知ることはない。信じるすべはないが、信じなくてはならないことが、この世にはある。

わたしをこの道に赴かせた風は、本当は、海と一切無縁であることを強いられた。それでいて、海風にまさるともおとらず湿気をはらんだ、重い雪の風である。シベリア抑留を経験した詩人、石原吉郎のまつげを凍らせた内陸の風である。

石原吉郎を読みながら、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの道を思うなんてことは、全くおかしい。 しかし現に、わたしはこの道を歩きはじめていて、見えない大西洋を見ている。

この旅は、失語にいたる旅である。
言葉が言葉たりえなくなる、その限界に立つ旅だ。
イベリア半島の西はもう海で、サンチャゴ・デ・コンポステーラにたどり着いた者は、そのまま慣性に従い海に落ちるか、踏み留まるかの2つしかない。
引き返すことはできない。サンチャゴ・デ・コンポステーラを知る前の自分に戻ることはないのだから。
土地を追われたユダヤの人々、ムスリムたちの嘆きはずっととよみ続けてけして消えないのだから。

わたしはもうサンチャゴ・デ・コンポステーラへとあゆみはじめているので、言葉を上手に失いはじめることができた。だからこのノートを書くこともできた。なにせ小田急線の昼下がり、かたいのかやわらかいのかわからない床に足を乗せて、一度も行ったことのない土地の風の色まで書くことができたのである。

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