あるティンパニ奏者と瞑想する指揮者-セルジュ・チェリビダッケ
【注意書き】
筆者の完全な主観が多く含まれます。その点はお含みおき下さいませ。
ティンパニストかく語りき
著者:近藤高顯
出版:学研プラス(2017年)
今回は、近藤高顯「ティンパニストかく語りき」をレビューする。
はじめに
本作は、新日本フィルハーモニー交響楽団の首席ティンパニ奏者を務めた筆者によるエッセイである。新日本フィル在籍時に共演した団員や邦人指揮者らに受けた薫陶、エキストラとして参加した海外オーケストラの来日公演、ドイツ留学の思い出やティンパニそのもの―材質やマットなど―が平易な文体で綴られている。
新日本フィルに入団するまで
筆者の近藤高顯は1953年、神戸市生まれ。多くの人が想像しがちな音楽を嗜む家庭の天才児というわけではなく、楽器を始めたのは中学3年生だった。最初はブラスバンド部で空きがあったトロンボーンを吹いていたが、唇に金属アレルギーが出てしまって断念する。それでも楽器を諦めきれなかった近藤は高校に入ってからティンパニを始める。
東京藝術大学音楽学部を卒業した筆者は1980年にDAAD(ドイツ学術交流会)給費留学生として、西独のベルリンに留学する。留学先のベルリン芸術大学では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で当時の首席ティンパニ奏者を務めていたオスヴァルト・フォーグラーに師事する。フォーグラーからレッスンを受けながら、1980年代のフィルハーモニー・ホールで筆者が聴いた数々の演奏会の思い出もファンには興味深い。
筆者は西独から帰国後、1984年に新日本フィルハーモニー交響楽団の”アシスタント・ティンパニ奏者"のオーディションを受ける。課題曲は5分以内の自由曲とオーケストラ・パート。当時の音楽監督である井上道義から叱責を受けながらもオーディションに合格し、1985年に入団する。なお、"ティンパニ奏者"を公募したのは新日本フィルが初めてだったとのこと。
他流試合で研鑽を積む
晴れて新日本フィルに入団した筆者は新日本フィルに基盤を置きながら、それ以外のフィールドでも数々の演奏に参加した。本節は筆者の”他流試合”から1986年の秋、筆者がエキストラ奏者として参加したセルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、MPOと記載)との共演に焦点を当てる。
チェリビダッケはルーマニア出身の指揮者。第2次世界大戦後に混乱極めるドイツでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、BPOと記載)の首席指揮者を務めた後、イタリアやフランスなど各国で客演指揮者として活躍する。1971年にシュトゥットガルト放送交響楽団で実質的な芸術監督に就任すると、この頃からラジオ放送を通じて日本でもその実力が認知され、1979年から首席指揮者に就任していたMPOを率いて来日した。
10月11日、筆者は千葉県松戸の聖徳学園で開かれた演奏会に参加する。プログラムはチェリビダッケが以前より演奏会でよく取り上げていた楽曲で構成されていた(※1)。曲目は以下の通り。
■ シューマン《交響曲第4番ニ短調》
■ ムソルグスキー/ラヴェル《組曲「展覧会の絵」》
筆者はプログラム後半の「展覧会の絵」で大太鼓を担当した。当初は鐘を担当するはずが大太鼓に替えられたり、渋滞に巻き込まれたためにゲネプロの時間が15分しか取れなかったりと、ドタバタの連続で本番を迎える。
第4曲《牛車》の終盤、筆者は大太鼓の一発を決める。えもいわれぬ静寂の中、チェリビダッケはニヤッと微笑んだ。筆者はこの時の心境として「首がつながった」と思うのが精一杯だったと綴っている。
この日と同じプログラムは10月14日にも行われた。この時の演奏会は収録されており、その音源を基にAltusからCDが発売されている(※2)。
チェリビダッケ&ミュンヘンフィル(1986年東京ライブ)
シューマン《交響曲第4番ニ短調》&ムソルグスキー《展覧会の絵》
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
演奏:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1986年10月14日、昭和女子大学人見記念講堂(ライブ)
レーベル:Altus
■ シューマン《交響曲第4番ニ短調》
個人的な意識を開陳すれば、チェリビダッケは形而上的な音楽を振らせたら右に出る者はいない指揮者である。同曲はその証左になりうる。第1楽章の冒頭は意外に思えるほど、柔らかく響いてくる。全体的に抑制された響きが線の細さを感じさせるが、第3楽章から第4楽章を迎える場面の深い息遣いに指揮者の哲学が垣間見える。
チェリビダッケのシューマンに初めて触れた際、個人的にある演奏がふと脳裏を過ぎった。その演奏とは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&BPOによるスタジオ録音(Deutsche Grammophon, 1953年)である。チェリビダッケはフルトヴェングラーが非ナチ化審理を受けている間にBPOを支えた立役者だが、フルトヴェングラーが楽壇に復帰した後は愛憎半ばする仲になってしまった。とまれ、両者の音楽性は根本的なところに通い合う点があったのだろう。
■ ムソルグスキー/ラヴェル《組曲「展覧会の絵」》
チェリビダッケは「展覧会の絵」をロシア音楽ではなく、編曲を担当したラヴェルの管弦楽曲として解釈しているように思える。通俗名曲である「展覧会の絵」に聞き飽きてしまった読者も多いと思うが、未聴ならば一度、チェリビダッケの演奏に触れてみてほしい。新たな地平が眼前に開けることを保証する。
ゆっくりとした《プロムナード》で幕を開ける。第2曲《小人》からチェリビダッケは克明に音楽を描写する。焦らずにじっくりと表現される音像は楽曲の標題を再現するというより、構成に重点を置いている証左である。
とまれ、テンポの速い曲―第9曲《卵の殻をつけたひなどりのバレエ》や第14曲《鶏の足の上に立っている小屋》では切れ味鋭い音楽が提示され、聞き手を飽きさせない。
チェリビダッケが他の指揮者とひと味異なる瞬間は第4曲《古城》や第7曲《牛車》、第9曲《サムエル・ゴールテンベルクとシュムイレ》などに示されている。形而上的な趣きから崇高な響きに至るプロセスは聞き手に深い感動を与える。
そして、終曲《キエフの大門》では音楽が極限にまで拡大する。他の曲に比較した際、チェリビダッケの解釈は特にデフォルメじみたところを感じさせるが、過剰な表現を抑えながらも大団円を演出している。
※1 シューマンとムソルグスキーどちらもに異演が複数存在する。
※2 アンコール:ドヴォルザーク《スラヴ舞曲第8番》も収録されている。
【参考文献】
「増補新版 チェリビダッケ 音楽の現象学」セルジュ・チェリビダッケ【著】 石原良哉【訳】アルファベータブックス(2017年)
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