_タクシードライバーは見た__60歳を越えたタクシー運転手の幸せな働き方_のコピー__76_

#タクシードライバーは見た「ひっそりと幸運を祈る」

「えーっとねぇ、ここが新宿通りで真っ直ぐ行ったら四谷に繋がってる。」
「へぇ~、凄いね、道も詳しいんだね」
乗って来たカップルの男性の方が女性に道を説明している。
男にとって、知識が豊富であることは自慢の一つであるだろう。
女性の反応に男性は「そんな凄いなことではない」と反応しているが満たされている感覚がバックミラー越しに伝わってくる。
滝が流れ水面を打ち、水しぶきが上がるように自尊心に満たされている映像が目に浮かぶ。
いちいち反応することでもないし、気にも留めていない自分は進行方向の動きを予測しながら運転を続ける。

「わたしさぁ、道とか全然覚えられなくて」
「俺はなんか、頭に地図が出来るんだよね」
「それ凄いよね~、もう今どこにいてどの方向が北なのかも分かんないもん」
「ははは、それはそれで大変じゃない」
「そう、いつもスマホのマップが手放せない」
話が発展していく、この手の会話は度々起きる。
マップが頼りだけど、GPSが狂って進行方向が変わるからマップに迷わされる。そう流れていく。
女性の方にその傾向があり、脳の構造上そうなってしまうという話も聞いたことがあるが、「話を聞かない男、地図が読めない女」という世界的にヒットした本もあるくらいだ。
とはいえ、男性でもそういうタイプの方がいるのも見ているのでそこまで関係はないのだろう。
地図が読めない方向音痴な女性でも、それを逆手に取り可愛さのアピールや後の展開を活かそうとしてるとすれば、それはそれで優劣つけ難い。
今乗っている女性にはその雰囲気はなかった。

マップのGPSあるあるがひと段落つくと、男性は再び道のことを話始めた。
会話において、どこまで深めるかも大事なところではある。
――そろそろ止めたほうがいいんじゃ. . . . . 。
そう思いながら運転を続ける。
「ここを左に曲がると、渋谷に繋がっていて、右だと確か池袋なんだよね」
「そうなんだ~、イメージは浮かばないけど、渋谷とかは分かるかな」
女性も答えるが、先ほどの盛り上がりには欠ける。無理もないだろう、その女性は地図が苦手なのだから同じイメージを共有しながら会話を出来ないはず。
その会話を聞きながら「やっぱり止めた方がいいんじゃないか」と言いたいところだが黙って運転を続ける。
彼は、自分にとって損でしかない墓穴を掘り進めるような話を続ける。
「この道はさぁ」
「(あ~もうやめた方が良い)」
今にも喉から出てきそうなほど、僕は彼に伝えたかった。

「間違ってるよ」と。
「新宿通りじゃないよ、左が渋谷で右が池袋じゃないよ」と。
彼は最初から悠々と語っているが全て間違っていた。
でも言えなかった。
行き先の名前と場所が間違っているとか、運転している自分への枷になることはないし、本当のことを伝えると彼の恥を晒すことになる。
そして少し怖かった。
ひょっとすると、彼が僕に「そうですよねぇ?運転手さん」と援護射撃のような同意を求めてくるかもしれない。
間違っているとはいえ彼のことを思うと援護射撃として同意することが正しいとは思う。が、カタチ上だけだ。
援護したとて、引き金を引くとシャボン玉が出てくる拳銃のおもちゃで撃っているようなもの。
そして、ルート確認の一言もこちらからは出来ない。
とにかく余計なことを発さずにひっそりと目的地に向かった。

男性が再び道の話を始めたとき、もう目的地の目前だったこともあってその会話は強制的に終わりを迎えた。
これは少し良かったと思っている。
あまり反応が良くなかった女性との会話を止めることになった。
つまらないと思われている会話を続けるよりは良い。

地図の間違いはまだいいが、デートの間違いはしない方が彼にとって良い気がする。
二人を降ろした後、幸運を祈りながらその場を後にした。
僕はひっそりと、頭の中にあった彼と同じ地図を正しい地図に戻した。


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