備忘録 ジャーナリズムとは

ジャーナリズムとはなにか?

テレビでコメンテータが時折ヒステリックに叫ぶジャーナリズムについて自分なりの考えがまとまったので備忘のために記します。

まず私が疑問に思ったのは「ジャーナリズムとは反権力のことだ」と当のジャーナリストの多くは(おそらく心の底から)思っていること。

疑問に思いませんか?

そもそも権力ってなんでしょう?

政府ですかね。そして今だったら総理大臣を務めている安倍さんでしょうか。

では安倍さんが、たとえば、世界に核廃絶を呼び掛けたところでどれほどの国が従うでしょうか。

おそらく核保有国の中で従う国は一つとしてないでしょう。

それどころか隣国には年がら年中難癖をつけられているのが現状です。

国内を見たって安倍さんがやりたがっていた憲法改正もいまだにできていません。

こんな状況で「安倍は権力者だ。ジャーナリズムは反権力だ。だから反安部はジャーナリズムだ」なんていう論理展開されても、「小学校からやり直せ」答えるほかないわけです。


ジャーナリズムとは何か?

ジャーナリズムとは「情報の非対称性の是正」です。

情報の非対称性とは、「誰かが知っている情報をほかの誰かが知らない」ということです。

たとえば今回のコロナで言えば「GoToが強行された内幕を政府関係者は知っているけど国民は知らない」とか「検察庁法改正反対の抗議は実は活動家が仕掛けたものだけどほとんどの国民は知らない」とかそういった感じのことです。

こういった情報を取材を通して手に入れて国民に公開するのがジャーナリズムだろうと。

その結果情報の非対称性を解消し、国民生活を健全にするのがジャーナリズムの本分だと思うのです。


旧世代のジャーナリストが語る「反権力」の問題点

「反権力」と「情報の非対称性の是正」はある種近似する概念ではあります。

では何が問題なのかというと、権力とは定性的な概念で客観的に示すことが困難であること。そしてそれゆえに言葉のイメージに引きずられてしまうことです。(だから「情報の非対称性の是正」みたいなアカデミックな表現をする必要があります)

困難なので簡単にしようとします。

ゆえに権力者を固定的なものととらえる(実際は流動的でとらえどころのないものであるにもかかわらず、です)

で、言葉のイメージに引きずられます。

ゆえに日本の代表者である安倍さんがやり玉に挙げられます。

そうなると「安倍さんは権力者だから、ジャーナリズムは反安部だ」という極論を生みます。

これがどう問題なのかというと、たとえば一番簡単な「反安部」は日本と敵対する国とつながること。

要するに何も考えずに隣国の肩を持てばジャーナリズムになってしまうのです。

またそんなことしなくても画面や紙面の中で適当に政策批判をしていればジャーナリズムになってしまう。

ニートがネットに適当に書き込んでいることと、本質的には変わらないにもかかわらずです。

しかしながらこれはあきらかに本来のジャーナリズムとはかけ離れていることがお分かりになると思います。

願わくば新世代のジャーナリストの方々はジャーナリズムの言葉の定義をしっかりと考えてもらえればと思います。

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