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親の成年後見人の審判が下りた。

某日、親に保佐人と補助人がついたという書類が届いた。
宛名の横に「事件○○○○○○○○」と番号が降ってあって、裁判所の案件は事件なんだと知った。ものものしいけど、それぐらい疲れたのでやっぱ事件だよなあと。

ともあれ、父と母に同じ人が後見につくので良かったと思う。
ちなみに、後見人は弁護士、司法書士、福祉士から希望を伝えられるんだけれど(選ばれるかは別)、福祉士は人気で時間がかかると言われた。子どもを産む前に決めて欲しかったので、希望は出さなかった。

どうも厳しい人とか、我が家は関係ないけれど、お金持ちの後見の場合お金の量から報酬が算出されるのでできるだけ使わないようにコントロールしたり、不動産を売却して現金化する悪徳後見人もいるらしい。今まで自分に甘く生きてきた親なので多少厳しい人がついて現実を受け入れてくれればと思う。70過ぎてからこんな目に遭うとは両親も思っていないだろうけど、今まで逃げてきたツケを払う時が来ただけだ。

逃げた分は長い人生のどこかで帳尻合わせがくる、というのが、今回私が学んだことだ。逃げ切れない。年がいって気力も体力も無くなっても、逃げた分は追いかけてくる。逃げ切れないようにできている。親はもしかしたらもう少し死なないのかもしれない。学びの時をこれからしばらく過ごすんだろう。

あの二人の人生がこの先、あらゆることで不自由なのは、身の丈に合わない自由をずっと享受してきたからだ。お金がないのは相手のせいだとずっとあの二人は言い続けてきたけど、はっきりいって自分のせいだ。お互いが自分の非を認めない。

お金以外のことも家のこともあらゆることを相手のせいにして生きてきた二人が行き着く先は、第三者の知らない人に全てをコントロールされて娘に見放される生活だ。親はきっと見放されたとは思っていないけれど、私は心底どうでも良くなっている。

別に子どもが生まれたら合わせてもいいとも思っているし、何かあればそれなりに助けるけれど、そこに感謝や気持ちは乗らない。ただの作業だ。

実際に後見が開始されたら、こんなはずじゃなかったとか連絡が来るんだろうな。気が重い。その頃には子どもが生まれているだろうし。着信をブロックして過ごすことになる気がするけど、そうなるかならないかは親のクズ(もしくはまとも)度合いによる。

全ては自分に返ってくる。

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