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清潔に憧れ清潔になりたいと願うけど不潔でもそれなりに生きられる

清潔にハマっている。
いやハマることじゃないだろと言われるかもしれないが最近になってハマっている。というのも私は長年不潔であった。夫に言わせると過去の私は相当やばいらしい。これを書くことで連絡を取れる人が減ってしまうかもしれないがもしそうでも責めることはできない。自分でも引いている。だからこそ今清潔にすることがやたら楽しいのである。

お子さんがいる友人に話を聞くと、子育て中、家を清潔にすることは一時期諦める、ときっぱり言った。しかし病気になられても困るのでやらなければならない、とそんなときは心は無、だそうだ。そう、掃除は生きている限りついてくる。だからこそラクをせねばならない。楽しくやれなければ意味がない。最悪やらなくても死にはしないので、辛いときは優先順位から外せばいい。手さえ洗えばなんとかなる。
そう、手である

私の不潔自慢をしてしまい恐縮だが、まず私には手を洗う習慣というものがなかった。※あくまで幼少期の話です※
親から一度も「外から帰ってきたら手を洗え」と言われたことがないのである。友達の家に行くと友人がまず洗面所に案内してくれるので、問答無用で手を洗わされた。私は小さいころからなぜか問題提起能力が低く、「郷に入っては郷に従え」の教えがあらかじめ血に流れているのか、特に抵抗しなかった。「人の家に行ったら手を洗う」と覚えたので人間関係では事なきを得ていた(はず)。

しかし自分の家は別である。帰ったらランドセルを下ろして教科書を出したらおやつを食べる……とこの段階ですでに教科書もおやつもなんならランドセルの金具もすべて汚染されている。よく食中毒にならなかったものだと今にして己の運の強さに感心する。何回も言うが風呂は入っている。

もう白状してしまうが当時はトイレに行った後も手を洗わなかった。しかし小学2年生くらいのときに、女の子から「手を洗った方がいい」と女子が大勢いる前で忠告され、その時は恥をかかされた、と思っていた。やむを得ずトイレのあとも洗う習慣がついた。今はあの時の女の子には感謝しかない。いまから感謝状と寸志を持って伺いたいくらいだ。嫌われてもしかたないが。

なんとなく自分で手を洗ったり洗わなかったりの生活をしていたが(公の場では一応洗う)、やがて20代になる一人暮らしを始めるとまた手を洗わなくなったりしていた。しかし急激に急性胃腸炎になることが増えた。自炊する前に手を洗うことは常識だが私は水でちょちょっと洗うくらいだった。

初めての一人暮らしと初めての自炊、「料理の前くらいは手を洗え」と言ってくれる人もそんな状況もなく、よって私は人類がばい菌に犯されて生命が何度も危ぶまれてきた歴史を6畳一間で身をもって体験した。

なぜ手を洗っていないことが原因と気づいたかというと、胃腸炎が3回ほど続いたあたりでなんと両親から「ちゃんと手を洗っていないからでは?」と言われたからである。いくら親と言えどその時は「てめぇら…!」と思った。そんな教えは受けていないのになぜ原因がそうであると知っているのだ。それ以降私は石鹸で手を洗うようになった。風邪もとんと引かなくなった。

まあ手を洗ううんぬんだけではなく、カバンを地べたに置くのが平気だったり、公園の階段に座ったりするのが元来平気だった私は、当時付き合っていた夫に随分と驚かれた。夫は逆にこれらのことが一切できない人間で、居酒屋など荷物入れがないような場所の場合は、下に置くくらいならとカバンを抱きしめて食事をしたりする。強奪した大金でも入っているかのごとく。

また、私が一人暮らしをしていた家に来た際にたまたま冷蔵庫に入っていた生茶(キリン)が緑色ではなく茶色になっていたのを見て以来、いまだにことあるごとにそれを話に持ち出してくる。あれはお茶の色ではない、松嶋菜々子に謝ったほうがいい、と。

それでも私は大人になり、かの流行病以来、完全に清潔を目指す人間として開眼したつもりである。つもりというのは、どうしてもこう割りばしにティッシュをくくりつけて窓のサンを拭く、とかそういった松井的なことはできず、あくまで大手消費財化学メーカーの開発した品々に頼ったうえでの清潔だが……。

とはいえ私が清潔を解くなどやはり100年早すぎる。清潔な親に育てられた清潔な人になるには時すでに遅しなので、私は今日も内に秘めた怠惰な不潔とともに清潔な環境を目指して、タイピングしたあとのキーボードを除菌シートで拭くのであった。


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