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新宿の奈落

新宿駅周辺を歩いていると少しずつ不安になってきます。
人も出口もあまりにも多いからでしょうか、待ち合わせをしても必ず誰かが遅れます。キャッチの方は依然としていらっしゃいますし、広告の量も多くて、落ち着くことが難しい街だとつくづく思います。

平面的にも立体的にも複雑なためか、上京してから6年ほど時間が過ぎているのに、新宿をうまく説明することはできません。脳・人間・東京を説明できないのと同じように思えます。

玉城ビルで行われているChim↑Pom from Smappa!Group!さんのナラッキーに行ってきました。
はじめからおわりまでずっと変な体験でした。
地理的、歴史的、社会的文脈をふまえての価値というものももちろんあるでしょうが、

最低で最高。最高で最低。

という感覚を、2023年の歌舞伎町に紐づけて持つことが出来れば、もう充分にこの作品の魅力を受け取れているように思います。

本企画は、ビルの中のぼろぼろの部分を貫通する穴と、穴を通して下から上へ貫通する光が中心です。

解釈はそれぞれ自由にするものだと思いますが、過去のChim↑Pomさんの展示や会場で共有されたパンフレット、グループチャットでの投稿を踏まえながら、わたしが連想したことをこちらに列挙しておきます。

女性器、男性器、挿入、凹凸、アンダーグランド(サブカルチャーというよりも)、オーバーグランド、背骨、体節、配管、下水、蒸発、光、闇、臭い、堆積、芽、スクラップアンドビルド(脱構築?)、ネズミ、劣化、都市開発、具象、抽象、形而中、地獄、天国、解脱、私、公、meta、空虚、過去、未来、相転移、円環、輪廻など。

それらのイメージに関係するようなものが、水物のパファーマンスという形式で行われています。

水物という言葉をつかいましたが、地続きだとということです。
玉城ビルがヘンテコなのはもちろんですが、そもそもこの周りの建物そのものが、新宿が、東京が、日本が変です。

ソフィア・コッポラ監督の『Lost In Translation』の中で、ボブ・ハリス、シャーロットの目線の東京は、たくさん電光掲示板と小さいおじさんの頭でてらてらと奇妙に、それでいて、綺麗に光っていたような記憶があります。個人的にはその奇妙さは映画が公開された2000年代初期から特に色あせた感覚はありません。依然として東京、日本全体に共通するもののように思えます。

ヘンテコさは、秋葉原とは異なる形としては、特に渋谷、新宿が象徴的に煮詰められているように感じます。(世田谷的な文化はもっと海外に近いのかもしれないですね)それはどれだけ清掃されたりきれいに立て直されたり、ホームレスを追い出したりしたとしても、強烈な臭いはとれません。
特に歌舞伎町には、空虚な人を煽る刺激、空虚さを一時的に忘れるための刺激が溢れています。
見えるところに、金、サービス、身体動作、愛嬌、電気、ガス、水が集まり溢れ流れて、
見えないところに、ごみ、疲労、傷、トラウマ、病気、汚水、借金といった汚れに近いものが堆積します。
それだけでなく、汚れ自体をいかすような生き物、産業などの流れも生まれます。坂口安吾が堕落論にたしか書いていた気がする「戦争中、戦後すぐのあの頃は幸せでした」のようなメッセージングじゃありませんが、汚れと汚れの取り扱いこそが特にナラッキーの魅力になっているように思えます。

なぜだが家族での旅行のことを思い出しました。
父は、東京に観光に来るときロビーが金ぴかなホテルを選び、そこにかざられている端正な磁器をみて、こういうのが芸術だなって言っていました。
また、アンディ・ウォーホールの企画展のグッズコーナーでも父親は《花》をあしらったトートバックを前にして、これおしゃれやな、芸術やな、職場に持っていけるななどと何度も言っています。

父はこういったエピソードに事欠きません。
わたしはそういった素朴な父と父が見ている対象を悪意と同時に憧憬をもって撮影したくなるときがしばしばあります。さすがに無駄に怒らせたくないため実際に父を撮影することはありませんでしたが。
わたしは、先ほどのホテルに泊まった時、車をとめていた地下駐車場の階層性、狭さ、暗さに驚き、撮影していました。

それらのどれも、目をそむけたくなるだけでなく目を向けてしまう俗悪さを感じます。本来地面(もしくは天井)にさえぎられているため、同時に一つの画角に収めきることは出来ません。隔たりを超え循環する生態系は冗長性を学習した観察者によってのみ、一方を見てもう一方を想起するかたちで捉えることが出来ます。木の幹をみることで地中の根を想像するように。

しかし、ナラッキーでは、奈落から天へと貫通していました。
一つの視野に都市の生態系がおさめられるようになっていました。
奈落からの光が天にまで伸びているのをみると神々しさを感じました。光の柱をみていると少なくとも一夜までならアウトカーストが神になることだって自然なことに思えました。同時に、夜にだけ現れる光の柱というものはつつましく謙虚で愛せそうに思えました。似たような感想をもしもしチューリップに対しても感じていたような記憶があります。もちろん、もしもしチューリップを間近で見ている時、「えっちぃ」とも感じました。この「えっちぃ」は大森靖子やマヒトゥザピーポーに感じるかっこよさ、愛おしさの混ざったカワイイとおそらく近いように思えます。


追記 2023 11 09
秋葉原を中心としたオタク文化に影響を受け、静的でフラットさを提示したといえる村上隆の作品と、歌舞伎町に影響を受け動的でその生態系の厚みを伝えた本企画を並べてみると、クールジャパンの両対を理解しやすくなるもしれない。

VR
平面なのに多重
スーパフラット
多重なのに平面
ナラッキー
多重→平面→多重化
それに私と公というやりがちな分離

追記20240126
新宿の成り立ちが語られている。
https://jgweb.jp/contents/series/nostalgie


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