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文献を読むことについて

今は文献を読み進めている。大学院に行く前に研究で扱いそうな主要文献は一通り理解しておきたいと思ったからである。今回はそれに関するテーマである。

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人文系の研究において文献を読むことがすべてである。

とまで言うのかはわからないが、文献の量を読み下せないことには始まらないことは確かなのではと思っている。人文系といってもいろいろだが政治思想や哲学を扱うのであれば主な研究対象は間違いなく文献であろう。

大学院に行くことが決まってから、この「文献と向き合う」という姿勢について考え直す必要性を感じている今日この頃なのである(大学院に実際に通い始めたらまた認識が変わるかもしれないのだが優しい目で見て欲しい)。

どういうことかというと、これまでも好きで研究テーマに関する本は何冊も読んできたが、そのとき読んで得た知識は現状全く役に立たないのである。正確に言うと、自分で活用できる状態になっていないのだ。

本を読むことで、その本の概要や雰囲気は掴んでいる(と思っている)。しかし、研究において「あの人の議論は斯々然々で、この点について批判の余地がある」みたいな解像度の高い認識がない。本に多少マーカーで線は引いてあれど、重要な議論の流れを追うには結局もう一度本を流し読む他ない状態なのである。悲しきかな、せっかく本を読んだ時間がもったいなくも感じる。

そこで、今始めてみているのが、読んだ本や論文を要約して自分なりにまとめることだ。文献は量をこなす必要性を感じているので「ゆっくり要約している暇なんてない」という気持ちを抑えながら、丁寧にちゃんと理解し使える形で情報を理解しためておくプロセス。急がば回れということだろうか。

具体的には、esaというmarkdownでドキュメントが書けるサービスに要約や要点を書いている。

複数人で使うイメージなのだろうが個人で使っている。markdownで文章を書くにしてもやっぱり使い勝手が一番良い。他にもKibelaとかHackMDとか色々あるが、整理しやすさとかテンプレートの呼び出すさは段違いだと思っている。前職で社内Wikiとして使っていた慣れもご多分にあるが。

実際に書いてみると、面白いもので、結構新たな気づきがある。さっと通読するだけでは追いきれていなかった議論のつながりが明確になる感覚があった。やはり既存の議論を理解するだけではなく、それを抽象化して消化して自分なりのイメージに落とし込んでいければ、他の議論とつなげたり切り離したり自分の意見を織り込んだりと、自由に取り扱える感覚が少しは得られるのかもしれない。

あと意外に感じたのは、要約して自分の分で表現してみると結構文字数として短いということだ。500ページとかある強そうな本でもエッセンスだけ抽出すると案外そんなものか、という感覚を得た。全体を俯瞰できる感じがして、これくらいならあとからでも思い出せるし、何よりこの要約を見ればだいたい分かる状況が作り出せている。

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見様見真似でとりあえず良さそうな方法を模索している程度なので、もし他にも「こんなやり方でやっているよ!」みたいなものがあれば教えてもらえたら嬉しい。

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書こうと思う内容は思いつくのだが、これを文章に落とし込むのに意外と時間がかかる。そもそもブログは「ですます調」で書いているのに、自分語りには「である調」かなと思い、noteでは「である調」を採択したことが一つ大きな原因ではあろう。

今のところ下書きに書こうと思っているテーマはたくさんあるので1週間くらいは続きそうな気がしているが、これを書くのに時間を使ってしまっては元も子もないので早くシュッと言語化できるようにしたいものである。


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