SNSとの向き合い方

皆様、こんにちは。
静岡県東部にてタロット占術家(占い師)をしております、タウザイン藤澤です。

SNSは今さらですが、情報発信用ツールです。
あくまでも私の私見ですが、たとえば、愚痴や苛立ちを発信したりするものとは違う気がします。

辛いとき、その辛さを聞いてほしい、話して楽になりたいということは、長い人生には無限と思えるほどにあります。
その心情もわかります。
でも、ネットはいかに法整備が進み、かつ、管理側も力を尽くしているとはいえ、必ず、自分の望む『答え』をもらえるものではありません。逆に傷つけられたり、気持ちがかえって辛くなることもあり得ます。

SNSは顔がわからない、そして本当にお金がない方なら開示請求は難しいものです。だからこそ、思うままに『言葉』を文字に変換して書き込むことができます。文字になるということは『残る』ということです。
ネットに残るということは完全に抹消できない、消せないということです。

私はSNSに相談事や悩みを書くことがいけないということを記すつもりはありません。
現実にその『力』で救われたり、楽になることも少なくないでしょうし、たとえば、何かの事情で社会や対面状態になれない(対人コミニュケーションできない、病気などで入院し続けているなど)方もたくさんおられますから、そのような方々にとってはSNSはとっても素晴らしいツールです。
さらには有事の際(災害時など)には迅速にリアルな情報発信が成り、人命救助などに繋がることも少なくないでしょう。

しかし、昨今のメディアやニュースをみていると、そういったSNSの良さや力が霞んでいて、ただの気持ちを吐き出すものになってしまっているように感じます。
SNSで発信し、後に謝罪するなら、初めから発信しなければ良いと考えます。
また、当事者以外、真意や状況がわからないのに、決めつけて、あたかもその発信が原因かのように伝達され、その伝達が拡散、さらに新しい被害や辛苦を生むという流れができていることが怖いとも思います。
きちんと公的に理由が出ていないなかで『○○だろう』から『○○に違いない』というような流れが当たり前にできて、結果、真偽が明確でないまま、憶測だけが一人歩きしていく。そして、公的に理由が発表された後も、憶測は消えずに残り続けてしまう。
これは本当に怖いことです。

悪気はない、気軽に書いただけ。

というような気持ちでは、SNSの力に飲まれて、下手をすると書いた当人の『気持ちや考え』とは逆に解釈をつけられ、当人がしらないうちに書いたことが一人歩きしてしまうことになります。

文字に記す・残すということは、多少の差はあれど、内容を問わず、責任を負うことです。
この責任には性別、年齢は関係ありません。利用者が等しく有するものです。

SNSが日常化している今だからこそ、今一度、その真意と目的をきちんと理解し、良い力として活用していきませんか。
きちんと向き合って、良い力として活用していきたいと私は思います。

※本記事内容は私、タウザイン藤澤の私見、ならびに個人的な考えのもとに記しました。ネットに関して、あるいはSNSに関して、否定や中傷をしているものではありませんことを記しておきます


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