やりたいことはあるが、体調優先と決めたから
noteの投稿数は、月10本程度と決めていたのだが、今月は2本上げたところでピタッと止まっている。その理由は、体調管理を最優先にしたから。
今私は、「せんまやひなまつり」に参加している。
2月11日から、我が地元で毎年「せんまやひなまつり」が開催される。
コロナ禍のため、2020年は開催したものの途中で中止。2021年、2022年の中止を経て、今年2023年、3年ぶりの開催である。
今回私は、スタッフの1人として9年ぶりに参加。9年前の2014年に参加したときにも思ったことだが――
この「せんまやひなまつり」をなめてかかってはいけない。地元のオバサマたちの単なる趣味の活動などと思ってもいけない。
大 変 な 集客力である。
今年はまだコロナの影響もあるだろうから、はたしてどれだけの人が集まるかと思っていたが。
大 変 な 集客力である。
岩手の田舎町で、約20日間も開催するイベントで、あれはすごいと思う。平日だろうが天気が悪かろうが、来場者数2ケタ以下の日はほとんどない。期間中、毎日お客さんがやってくる。
土日はさらに多くなる。
特に、松澤神社の石段を使った「三十三段飾り」や、シャトルバスならぬ「シャトル馬車」が出る日、それからメイン会場である酒のくらの離れでイベントがある日は本当に、大 変 な 集客力である。
あまりの人の数に目が回った。
その夜、私は「自宅に大勢が押し寄せる」という夢を見てうなされることになる。
*
私の持病の再発は2018年以来なく、体調も安定している。草刈り雪かきで体力もついた。
私の社会復帰のためのリハビリとして、ひなまつりスタッフの仕事は最適だと思った。
勤務時間は9:30~16:30とゆるめ。それに期間が決まっているというのがとても良い。
体調が悪くなるかも、という不安は常にあるが、終わりが決まっている方が私としては気が楽。そこまで走り抜ければ、あとは休めるから。
――今思うと私が体調悪化したときというのは、いつも「終わりの見えない会社員」をやっていたときである。
そんなわけで、ひなまつりが始まると同時に、私はウキウキわくわくで出勤したのである。
しかし私の判断は少々甘かった。
まだまだHPの足りていない私の体に、3年ぶりの開催となる「せんまやひなまつり」の集客力は、大 変 な ダメージとなった。
その結果。初日から約1週間、私の体は生活の変化に順応できなかった。
まずお腹がゆるくなり、お粥生活となってしまった。食欲もなく、朝晩お粥と味噌汁、漬物だけを食す。お昼には母に作ってもらったおにぎり。
いくつになっても、弱ったときには母の作ったものが食べたくなる。
(数日前に、ひなまつりと関係ないことで大きなストレスが連発したことも原因だとは思う)
それから。大 変 な 集客力であったため、毎日夕方から猛烈な眠気に襲われる。帰宅後はすぐに愛犬オオキイノ(ゴールデンレトリバー)を連れて、意識と日が落ちかける中、散歩する。
夕食は寝ながら食べているような状態。
(そんな食べ方をしたのは、中学のバレー部時代以来だ)
こういった疲労による猛烈な眠気に襲われているとき、私の体にはめまいや軽い吐き気などの症状が出て、これは寝ない限り治らない。
だから寝る。
やりたいことをすべて脇に置いて。
とにかく寝る。
*
かつて難病2つに10年以上苦しめられた過去がある。このときの経験から学べたことといえば、「私の心身の限界」についてだろうか。
この感じ、ずっと続けると心が病むな。
この体の感覚、今すぐ寝ないと悪化するな。
そういうことを把握できるようになった。
私は「牡牛座として生きてゆく」ことを大切にしている。それはつまり、体や感覚のケアを大切にするということ。
これは病を経て、自分に合った生き方として自覚した。私の体は、かなりの牡牛座属性だと思うから。心よりも体の方が繊細にできている。
牡牛座として生きてゆくことが、この体にとって大体正しいし、正常に戻るのも早いし、後悔も少ない。
もしも無限の体力があるのなら。
本当は、2月25日(土)の「おひなマルシェ」に向けて無料配布本の制作を進めたい。
noteだって更新したい。
だけど今回はとにかく、体力の回復を最優先とする。最終日まで走り続けなければならないから。
1週間、体調はギリギリだった。
でも1週間で済んだ――とも言える。
10年以上も病に苦しんだことに比べたら、たかだか1週間で体が順応したことは喜ばしいことである。
今年の「せんまやひなまつり」は3月5日(日)まで続く。
最初の1週間はヘロヘロだったが、こうやって体調管理をしながら最後までやりきったとき、私はきっと、自信を持つことができるのだろう。
そのことが、私は今からとても楽しみなのである。