体調不良は自分で治す〜死の淵編〜
31歳のとき、大量下血をした。当時の日々のストレスは凄まじく、頭痛や吐き気、強い動悸、飲み込み障害の自覚症状を経て、ある日突然、下血した。
小腸との境目付近に潰瘍ができていて、血液サラサラにする薬も飲んでいたため、余計に出血が多かったらしい。どうりで数日前からめまいがしたり階段でやたら疲れたりしたわけだ。
*
夜中に家で下血したときは、まだ意識もしっかりしていて、自分の足で救急車に乗り込んだ。病院に着いてから救急の先生に診てもらい、処置室で休み、午前の外来が始まったらそこで改めて診察を受ける予定。
しかし早朝に便器が真っ赤になるほどの大出血をして、廊下の車椅子に戻ったところで私は意識を失ったらしい。
視界が暗くなり、体を動かせなくはなったが、耳だけはずっと聞こえていたので、私としては意識を失ったとは思っていない。
お医者さんと看護師さんが私をストレッチャーに乗せる掛け声もしっかり聞いているし、「キビキビしてカッコいい」「安心する」という感想も抱いている。あとこのときも下血して車椅子を汚してしまい、大変申し訳なく思ったことも覚えている。
だけどあとで聞いたら、これ以外の私の知らない出来事が多々あったから、やはり意識が途切れていたと思われる。
再び目が見えるようになったとき、私は看護師さんたちに下血まみれの下半身を洗浄されていて、頭の近くからはバイタルの電子音が聞こえた。
物書きの性(さが)なのか、この状況でのバイタルをぜひとも見ておきたい、と強く思い、画面に目を向けた。
血圧が上50台、下30台――あまりの低さに我が目を疑った。でもたしかに体はだるくて重くて動かせないし、意識が沈んでいくような感覚に襲われた。
――ああ、これは死ぬな、私。
なぜか冷静に受け止めていた。そして、まあいっか、とも思っていた。人生において未練らしい未練は、このとき特に思い浮かばなかったから。むしろこれでストレスから離れられるならいいかもしれない、と。
それに具合はとんでもなく悪かったけど、刺されたり大ケガして痛いわけじゃないから、このままなんとなく死んでいくなら、それもいいかなあ、と人生の店じまいを始めていた。
だけどここで私はあることに気づく。
部屋が散らかっているのだ。
ただでさえ持病の激痛で体が動かせないときに、日々の激しいストレスも重なって、体はますます痛い。部屋の掃除も、片付けも、模様替えも、何ひとつできていない。
このまま死んだら、嫁ぎ先の親戚にあの部屋を見られて笑われてしまう。それに私が書いた小説や日記も読まれるかもしれない。こんなオショスい(恥ずかしい)ことはない。
決めた。
ここで死んではだめだ。
今すぐ血圧を戻さなければ。
そうだ楽しいことを考えよう。
私は一年前までやっていたYOSAKOIの一番好きな曲を脳内再生した。ドクターストップがかかってやめてしまったが、それまでは練習も毎回参加し、イベントでも何度も踊った。あの頃の楽しさと興奮を具体的に呼び起こし、だる重い体を無理やりノリノリモードに持っていく。
このとき輸血はまだやっていないが、お医者さんたちの処置が良かったのか、はたまた私の脳内YOSAKOIが効いたのか、50台だった私の血圧は80まで上がった。
80で安定したのを見てCTやら胃カメラやらの検査を受けたわけだが、正直、血圧80での胃カメラは苦痛でしかなかった。
ヘモグロビンが通常の半分ほどに減っていたので、ほどなく輸血も始まったわけだが、鮮度が落ちないうちにと大急ぎで入れたため、血管痛がまあしんどい。
これが生きることを選択した者のさだめか、と噛みしめながら、痛みに耐えた。
*
牡牛座は我慢強い、とよく本で見る。ストレスに鈍感で、むいていないことでも頑張ってしまう。だから気づいたときには、限界を超えていると。たしかに私のこれまでの人生、体を壊して仕事を辞めることが多かった。
牡牛座は変化を嫌うとも書いてあった。今の環境を変化させるくらいなら、つらくても今のままにしておこうとするらしい。――身をもって理解した。
血圧50台からの復活。お医者さんたちが処置してくれたことももちろんだけど、「体調不良は自分で治す」の究極系が成功したとも思える。
だけど手放しには喜べない。元看護師の母は、下血の連絡を受けたときにとてつもなく動揺したという。
「下血は一回で済むわけがない。何回も続くはずだと思った」
母の言うとおり何回も続いた。結果、血圧低下して意識も失った。母が動揺したのは、娘が死の淵に立つ可能性があったから――ということなのだろう。
「下血して血圧低下しても、寝てたら血圧って戻るものなの?」
搬送されて処置室のベッドで横になっていたとき、駆けつけた母に尋ねた。
「うん……そうね……」
母はそう答えてくれたが、あれは私を気づかって嘘をついたのだと後日告げられた。
「だりゃ、下血して血圧低下してるってことは血が足りてないんだから。輸血しなきゃ、そんなすぐに戻るわけないでしょ」
白状されなくても、血圧50台になって、こりゃ死ぬなって思ったときに嘘だと気づいた。
母が嘘をつかなければならないほど、あのときの私は相当ヤバかったのだろう。母には本当に心配をかけた。父は冷静に運転してきたというから、多分私と同じで、のんきに構えていたんだと思う。
姉からは静かに諭された。
「また体調不良に陥ったわけだが。そろそろライフスタイルを見直してみてはどうか」
おっしゃるとおりである。
「あとね。会社ってのは、自分がいなくても案外回るものだよ」
姉のこの言葉で、私は退職をすんなり決めた。
それから素直に反省し、ライフスタイルを見直すことにした。これからどういうスタンスで生きていくか。どこまでできて、何を避けるべきか。優先すべきは何か。姉にも主治医にも、何度も相談した。
あと、せっかく大病したから、退院後に小説を書いた。私がまた良くない生き方をし始めたときに思い出せるよう、姉や主治医にした相談のまとめの意味も込めて。
*
石井ゆかりさんの牡牛座の本に、たしかこう書いてあったと記憶している。
2021年は肩書きが変わったり、ワーカホリックになりがち。体調不良もグラデーション的にではなく、突然倒れる云々と。
去年実家に戻ってきたとき、父はとても疲れやすくなっていた。だから「肩書きが変わる」とは、単純に世代交代なんだろうと思っていたが。まさか亡くなってしまうとは思わなかった。
父の分まで頑張ろう、母を助けようという気持ちで、私も今年は草刈りに精を出している。出しすぎているときもある。だけど石井ゆかりさんの本と出会っていたから、ワーカホリックになって突然倒れたりしないようにと、日々自分の体との対話をするように心がけている。
体調不良は自分で治す――
一番治すべき不良部分は、私の性根だった。
もう自分を使い捨てにするような、心身に失礼なことはしない。家族にも心配をかけない。もう倒れるまでやり続けるということは、しないと決めた。
小説(エブリスタ)
『太陽のヴェーダ
先生が私に教えてくれたこと』
https://estar.jp/series/11154138
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