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ご近所さんは草焼き職人

朝の散歩、愛犬と畑を歩く。照りつける太陽に愛犬がすぐさまUターンしていた夏はすぎ、今はもっともっとと、走りたがる。空は高く、風が涼しい。稲穂はいつのまにか黄金色に変わり、愛犬と私を繋ぐリードにトンボがとまる。

今日は草焼きをしようかな。強すぎない風、夜からは雨、この前刈った草はすっかり乾いている。うん、草焼きしよう。――最近はそんなことを考えながら散歩している。

夏に草刈り機デビューしてから毎日のように腕を磨き、母にも上手だと褒められるようになった。
「今日は私、何しようか。何もなければ草焼きしようかと思うんだけど」
朝ごはんを済ませ、母とコーヒーを飲みながら、その日の仕事を確認する。

父が他界してから、私も母も、火が怖いからと草焼きはやらないできた。刈った草は重ねておけばそのうちカサが減るし、堆肥にもなる。ご近所さんたちは刈った草をバンバン燃やすけど、うちは燃やさず、それでいこうと決めていた。

けどそのうちに母がご近所さんから焼き方のコツを教わり、ちょこちょこと焼くように。母が慣れてくると、今度は私も教わってやるようになった。

子供の頃、学校にはまだ焼却炉がある時代だったし、我が家にはカマドもあった。私は火おこし、火まぶりが好きで、お正月など人が集まるときには積極的にカマドにつき、湯沸かし担当を買って出る。

だから一応、火にはなじみがあったわけだが、草焼きは違う。カマドや焼却炉のように囲われているわけではない。急に強い風が吹いて火が飛ぶことだってある。田舎育ちだから草焼きの経験がないわけではないが、それは大人の誰かと一緒のこと。私一人でやるとなると、やはり緊張はするものだ。

今日は草焼きしようと決めると、なんとなく外を見る。ご近所さんの畑から白い煙が見えると、やっぱり今日は草焼き日和なんだ、と安心するから。

そのまま祖父母と父がいる仏間へ向かう。草焼きするときは、仏壇ファミリーに手を合わせてから畑へ行くことにしていたから。

  *

初めて草焼きしたときは、にわか雨に恵まれた。火が暴れすぎない程度にほどよく湿り、私のおっかなびっくりも少し落ち着く。心の中で仏壇ファミリーに礼を言いながら、私はその日の草焼きをこなした。

翌日は、別の畑の土手で草焼きをした。土手の下はご近所さんの田んぼで、そのお宅の娘さんが草焼きを始めるところだった。このご近所さんは、家族みんなが草焼き上手で、私より何歳か若いこの娘さんも当然上手かった。

私が小さな草山をチマチマと燃やしていると、土手の下で娘さんがまず1つ目の草山にバーナーで火をつけた。白い煙がシュルシュルもうもうと立ち、風を受けて真横に流れた。

私だったらそれだけで、火の粉が周りへ飛ばないかとビビるのだが、娘さんは、数日前に刈り倒した草をたどって、どんどん進みながら草山を作っては燃やしていく。

2つ目、3つ目。……え、4つ目? 5つ? うそ、6つ⁉︎ 私なんか「ファイア」で精一杯なのに、娘さんが通ったあとには、「ファイラ」「ファイガ」どころか「メテオ」を発動させたような景色になっていた。
娘さんはその日、最終的に7つの草山を燃やした。

別のご近所さんを見てもそうなのだが、草焼きに慣れている人たちは皆、炎を出さずに煙だけを出してモスモスと燃やす。あとで聞くと、やはり炎を盛大に出すと、火のついた軽い葉が飛んでしまって危ないと。だから炎を出さないように燃やすのだという。

何回か経験して私もだいぶ火のコントロールを覚え、「うん、いい煙だ」などと言いながら2つ、3つの草山を同時に燃やせるようになった。それでもまだ、おっかなびっくりに見えるのだろう。近くで草刈りしていたご近所のおばさまが、私に笑いながら声をかけた。

「みんないるから。大丈夫だよ」

えへへ、と笑い返し、安堵に包まれる。そう。みんないるのだ。実家に戻ってきて、農作業をするようになって得たものは、この安心感だった。

このおばさまを始め、向こうの畑にも別のご近所さんがいるし、また別のご近所さんも、見えるところで草焼きをしている。私が何かヘマをしても、誰かが見つけてくれる。

「んだがら。倒れるときは、家の中よりも畑で倒れた方が安心なんだ。誰か見つけてくれっから」

母も私と同じことを思っていたようだ。

  *

この日もまた、朝の打ち合わせ。
「今日は私、何しようか」
「もうわかってきたべがら。任せっから。あんだの計画でやらいん」

どうやら見習い農耕民族のレベルが、また1つ上がったようだ。


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