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【一話完結】ワラビアンナイト 魔女のまちなか変身体験講座のお知らせ

ワラビアンナイト
魔女のまちなか変身体験講座のお知らせ

大陸の西方に、国土の東半分を砂漠に覆われた国があった。民は西半分でしか暮らせなかったが、山々の水を地下水路で引いていたし、砂漠を渡る隊商たちが立ち寄るため、街は栄えていた。

その街の、衣類を扱う店の前に、ファナンという娘がいた。ファナンは近頃、嫁入りの話を親から言われることが多くなっていた。

砂漠から吹き込む砂埃も気にならないほどファナンが見つめていたのは、店の表に出された一枚の張り紙。

【魔女のまちなか変身体験講座のお知らせ】
  講師:魔女アーティファ
  あなたも変身して街を歩いてみませんか

張り紙から顔を上げたファナンは、意を決して店へ足を踏み入れた。

「いらっしゃい」
暗いカウンターの中から声がかかる。薄いベールを頭からかぶった女だった。
あの、とカウンターへ近づくと、女からいい匂いがほのかに香る。

「変身体験講座に申し込みたいのかい?」
気だるいような、やや艶っぽいようなその声が問う。
「どうしてわかったんですか⁉︎」
「あれだけ張り紙にらんでいたら、誰だってわかるさ」
長いまつげの妖艶な目が、薄いベールから見え隠れする。

「もしかしてあなたが魔女……?」
「そう言われるねぇ」
「魔女が店番……」
「魔女だって山にこもってるだけじゃ食っていけないだろ。体験講座を受けたいなら金貨5枚出しな」
「金貨5枚⁉︎ た……高すぎでは……」
「嫌ならいいんだよ。帰りな」
「そんな! 私、どうしても変身したいんです! でも……そんな大金、持っていません」

店番の魔女が、細い指でファナンの懐をすっと指した。
「じゃあ銀貨2枚と、銅貨4枚」
それはファナンの所持金のすべてだった。

「……払います」

  *

「早速始めるけど。あんた、なんでそんなに変身したいんだい? 目的は?」
「それは……ただ、ちょっと……」
「ただなんとなく体験したいだけかい? そんな程度の気持ちじゃ効くもんも効かないよ。無駄金払ったね」

あきれ顔をする魔女アーティファに思わず「違います!」と叫ぶ。

「私……私はっ、今の自分と違う人生を歩んでみたいんです!」

ふうん、とアーティファがゆったりと瞬きし、その長いまつげにファナンは見惚れた。

「あの、でも、それはどうせできないことだから、だからせめて異民族の衣装を着て、お化粧して、いつもの自分と違う姿ですごしてみたいってずっと思っていて……。だから変身できるものならしたいんです」

このまま親のすすめる知らない人と結婚して、楽しいかどうかもわからない生活に突入してしまう前に――

ふうん、と魔女がまた瞬きする。
ゆったりと、というより、眠たそうに。

「じゃ、これを飲みな」
魔女の美しい指が、カウンターに小瓶を1本置いた。
「これはもしかして……」
「変身薬」
ごく、とファナンの喉が鳴った。

「これは初心者用の、少し弱い変身薬だから」
「弱い……とは」
「自分の面影がちょっと残る程度の変身になる。そうね、『親戚にいそう』くらいの顔になるかもね」
「有り金はたいたんですから、もっと強い薬にしてくれませんか?」
「金貨5枚も出せないやつがよく言うよ」

すみません、と首を引っ込める。

「強い薬はそれだけ毒にもなる。合わなかったら命も落とすからやめときな」
「……わかりました」

初心者用の変身薬を一気に飲み干すと、体が急に熱を帯びた。病気で発熱したときのような感覚をしばし味わったあと、衣服はそのままに、ファナンの姿形は別人となった。
アーティファの言うとおり、「親戚にいそう」程度の面影を残して。

「これが、私……?」
姿見に映った顔や体つきをまじまじと見つめる。子供の頃についた腕の傷痕も消えていた。

「なかなかうまく化けたじゃない。気分は?」
「すごく、いいです」
「結構。衣装は好きなものを貸してやるから選びな」
「あ……ありがとうございます!」

異民族の鮮やかな衣装を選んで着替え、アーティファに化粧を施してもらい、髪をいつもと違うように結い上げ、ファナンは再び姿見の前に立った。

「すごい……自分じゃないみたい……」
「自分じゃないさ。変身したんだから」
「そうですね。自分の名前も忘れちゃいそう」

姿見に映る姿に見惚れていると、アーティファに両肩をぽんと叩かれた。

「さあ! 街へ出て楽しんでおいで!」

アーティファの美しい手にいざなわれて店の外へ出ると、街は活気にあふれていた。
なじみの店に立ち寄る客、日銭を稼ぐために露店を開く者、それをのぞき込む者、これから砂漠へ旅立つ隊商、砂漠を越えてこの街へ着いたばかりの隊商――

「不思議……。いつもと同じ街のはずなのに。とても……光り輝いて見える……」

ファナンの心は躍り、駆け出したい気分になった。店を眺めながら歩き、露店に立ち寄り、一緒になった旅人との軽い会話を楽しみ、ラクダを引く隊商たちに手を振る。

本当に別人の人生だわ。
なんて楽しいの。なんて嬉しい日なの!

悦に入っていたところで突然――
「あれ? ファナン?」
名を呼ばれて、ファナンの体は硬直した。

え、とぎこちなく目を向けると、
「やっぱり! ファナンだー!」
幼い頃、近所に住んでいた一家の娘がいた。

「久しぶりー! あれ? 雰囲気ちょっと変わった?」

ファナンは硬直したまま、何も応えることができない。

「今どうしてるの? おばさんたち元気にしてる? 懐かしいねー!」

やめて――
心を乱される。それに共鳴するように、体からすうっと熱が引いていく感覚に襲われた。

「私が子供の頃に引っ越して以来だよね? 今日はたまたまこの街に寄ったの。ファナンは?」

心がざわめき、体は氷のように冷たい。

「その服変わってるね。はやってるの?」

――やめて!

突然、ファナンの真横に人の気配が迫った。あっという間に薄い衣を頭からかぶせられ、視界がぼんやりと半透明になる。

この香り――
「アーティファ……?」
かぶせられたのは、アーティファのベールだ。

「ここまでだね。こっちへおいで」
ベール越しに耳元でアーティファが囁き、ファナンの肩を抱いて下がらせた。

「あの、でも、あの子に何も言わずに……」
「大丈夫、軽いまじないをかけたから。しばらくぼんやりして、あとは何も覚えちゃいないよ」

そうですか、と力なく応えるファナンに、アーティファが微笑むような吐息をもらした。

「楽しめたかい?」
「ええ、はい。それはもう。……でも」
「途中で変身が解けちゃったね」
「やっぱり、そうなんですね……。あのときなんだか……」

あのとき体が、冷たく感じたから。
名を呼ばれたあのとき、家族の話をされたあのとき、体がすうっと冷たくなって、眠りから無理やり起こされるような、とても、とても――

「嫌な感じがしたろう?」
「……はい」
そう、あれはとても、不快だった。

「別の誰かになっているときに、自分の本当の名を呼ばれるというのはさ、――嫌なものだよ。すべてが崩れる」

ベールをかぶったままの頭をなでるアーティファのその手は、ファナンを慰めてくれている。

「――強い薬をください」
「なんだって?」
「いくらですか? 金貨5枚で買えますか? 家に戻ればまだいくらか集められます。足りない分は後で必ず――」
「あんた本当にバカだね」
「必ず払いますから! だから……っ」

しがみついて訴えたが、ため息をついたアーティファに引きはがされる。

「強い薬は毒にもなるって言ったろ?」
「ならないかもしれないじゃないですか」

やれやれ、とアーティファが天を仰ぐ。

「本当に金を用意できるのかい?」
「できます! してみせます!」
「今度こそ金貨5枚だよ?」
「必ず!」

ファナンの真っ直ぐな眼差しに、ふ、とアーティファが笑った。

「あのさ。大金作る熱意がそれだけあるならさ、あたしなら薬なんか買わずに、その金で旅に出るけどね」
「え、旅……?」
「よその街にでも移り住んでさ。今までの自分とは違う人生とやらを始めてみたらいいじゃないか」

よその街に移り住む? 私が?
そんなことをファナンが真剣に考えたことは、一度もなかった。

「で……でも、今の生活だってあるし、嫁入りの話も出ているし……」 
「それってこの先の人生かけてまで守りたいものなのかい?」
「それは……」

即答できない自分がいることに気付き、ファナンは少なからず動揺した。

「さ、変身体験講座はこれでおしまいだ。はいこれ、あんたの服。今着てるそれはあげるよ」
「えっ、あ、ありがとうございます」
「ああ、あとね。家の金には手を出すんじゃないよ。それから盗みもね。迷惑かけずに自分でなんとかしな。じゃあね。もう少し気楽に生きな」
「はいっ、お世話になりました!」

アーティファが背を向けて歩き出す。
じゃあね、と片手を優雅に振って。

  *

翌日店をのぞくと、アーティファはいなかった。いるのは店主である、ヒゲをたくわえた中年の男だけ。

店主は昨日、用事があって店を閉めていたらしい。だが帰宅してみると店から消えた服がある、と隣近所を相手に騒いでいた。
その代わり、銀貨2枚と銅貨4枚が店に置いてあったという。

ファナンは店主から身を隠すように、店から離れた。ファナンが着ている服は、その消えた服だから。

ファナンは、荷馬車の馬に水を飲ませている、少々年老いた御者に声をかけた。

「おじさん、この荷馬車はどこまで行くんですか?」
「ああ、この街で馬を休ませたら、南へ向かうよ。隣国の最初の街までだが、ここからはだいぶ遠くてね」

そうですか、とファナンが微笑む。

「おじさんすみません。お金はないんですが――」
街へ買い物に来たにしては少々大きい手荷物を胸に抱く。

「その街まで私を乗せてくれませんか?」



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