私もVtuber懐古おじさんなのかも
はじめに
今回はもやっとしていた現象を言葉にして纏めてみる回
学生の頃初めてVtuberを見始めて気づいたら6年がたっていました。
有名だった人がいなくなっていたり界隈としての空気や規模感が月日と共に変わっていくのを日々感じています。
私は、過去の話ばかりして今を見てくれない人間があまり好きではなかったのだけれども、「昔はこうだったな~」と振り返ることが多くなっていく自分が、その人たちと同じになっていくような気がして少しばかり嫌な気分になっちゃう。
Vtuberにハマった理由の一つとして、個としてのキャラクターが確立されているところがあります。
二次元のキャラクターが実際に現実で生活しているような実在性が好きでした。
推しの引退
Vtuberは声と皮によって構成されているので、引退した人間が別の皮を被っても姿形が前と違うので厳密には同じ人間ではないと捉えています。
どんなに自分が熱中してても、見ていた人間が引退した時点でそのキャラクターは死亡していて、声担当の人間がどこで何やってるのかすら分からない
という環境が好きでした。
引退配信はバーチャル葬式であり、推しが死ぬことの感情の整理をつける場
だと考えています。
私がそのような場として感情の整理を行ったからこそ、引退配信を神聖視しすぎている節があるのかもしれない。
死んだ人間が急に動き出すと、嬉しい反面複雑な気持ちがあるという話でした。
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