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「アデル、ブルーは熱い色」を観て

ずっと見たかった、「アデル、ブルーは熱い色」をNetflixで見ました。
この映画、めっちゃ長い。ぴったり3時間。結構見る前に気合がいるので中々手を出せないでいました。

レズビアンでいることの差別や偏見で辛い思いをしながらも、結果的に周囲の理解が広まってハッピーエンド。みたいな良くある映画だと思ってました。

ー全然違う。普通の恋愛映画だ。

ここが1番の衝撃でした。
確かに差別の描写はありましたが、そこをメインとしていない。
普通の恋愛映画なんです。普通というのも間違った表現方法だとは思いますが、あえてこの表現をさせて頂きたい。


1人の人間が、
心から好きだと思える人と出会い、
デートやセックスをしたり、
パートナーの生きてる世界との違いを感じたり、
価値観の違いを感じたり、
寂しさから他人にすがってしまったり、
それが原因で別れが来たり、
寂しさから仕事に手がつかなくなったり、
未練がましく連絡をとったり、
でも
相手には新しいパートナーが既にいることを知る。


自分が男か女か、相手が男か女かなんて関係ないんです。LGBTQ+の人って、マイノリティでも何でもなくて、同じなんだ。そう感じさせられる映画でした。

あとは、個人的な着眼点ですが、
価値観の違いって付き合う上で大きな溝になるよな。と思いました。
アデルとエマの対称的な描写がとっても印象的でしたね。

周囲の理解がなく、
安定が大事だと言う両親を持つ アデル

理解のある友人と両親を持ち、
夢を追いかける エラ

夢追い人とそうでない人って同じ方向を向くの難しいんですよね。
自分も今パートナーとそういう状態なので、より共感してしまった…


見てよかった。あくまでこれは私の見解です。合ってますかね。
ほかに違う見方をした方がいましたらぜひ教えて頂きたいと思っています。

おわり。

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