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シンエヴァ徒然草4/

だいぶ時間置いちゃったな。うろ覚えの領域に足突っ込んでますが、とりあえず草4です。ハイ。ではフレームレートの話をしましょうか。

とはいえ、僕はフレームレートについての知識は適当にネットでかじったくらいで、なんならこのnoteは適宜ググりながらやってんのに何を語るんだい?って所ではありますが。まぁ触れたい話題はシンエヴァではフレームレートを要所でいじって、もとい調整してズラしてますよね、というやつでして。

で?って話なのですが、普通は一作品の中のフレームレートは調整して不自然にならないようにするのが慣例。

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1秒24コマのフレームレートが自然なアニメだとなんの疑いもなく受容し、3DCGがヌルヌル動いているのを気持ち悪いと感じ、不自然さを見出す。それが僕らです。(※1)
うーんこの語り口ではゴールまで遠いな。

なんだろうな、要は「割と僕らは実に普通に自然と騙されて現実を認識しているという事実」にほとんど向き合っていないんですよねっていう所まで行きたいのだけれど。うーんフレームレートからそこは遠いかな。いや届いてるだろ。繋がってるはず。

僕はシンエヴァ冒頭のパリ市街戦はかなり導入として好きなんですよね。アクションが秀逸で、というのは置いといて、初っ端からかましてきてるな、と。ええい回りくどいな。

あの冒頭で群体を構成して飛んでくる使徒バエたち、少しチラついたりカクついたりしてました…よね?あれは多分ヘリコプターのブレードが止まって見える要領で、使徒バエがそれ相当の高速で飛行しているっていう表現なんだと僕は思っているんですよ。

人間が認識できるフレームレートを超越したら起こる自然現象というか、1コマ24枚の自然律だとコレがひとまず参照すべき自然法則として起こりますよ、と掲示されてる導入。不自然なチラつきはカクつきは自然に起こり得るのよ、と。(Q1)

んでマリが「にゃーにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃー!」とハンドルグリグリ回すあのシーン、たまりませんね。っていうのは置いといて、あそこも示唆的というかフィルム以前のアニメーションのゾエトロープっぽいんですよね。あのクルクル回るアニメーションの始祖的な装置。

考えすぎですかね。なーんか導入っぽいんですよ。リアリティとイマジナリーの特撮博物館的な。概念へのダイヴというか…やべーなコレ、クソ長くなるな。うーん。

フレームレートの話を勘案している中で取り上げたかったところとしては、アスカがシンジの胸ぐら掴んでドタバタする所とケンスケと山道を登ってる所とインフィニティのしっちゃかめっちゃかなんですよね。

アスカがシンジの胸ぐら掴んでドタバタする、あのシーン。えも言われぬ気持ち悪さでしたよね。ヌルヌルしてて。ね。明らかに不自然で。急にフレームレートが上がって驚くし。まぁ演出ですよね。

雑に言えば、それを逆手に取った演出。でも多分ただ気持ち悪がらせたいとか、ただ驚かせたいといった奇を衒うためだけではないと思うんですよね。

突きつけたかったんだと思うんですよ、あのシーンを。あのシーン、ワンカットじゃないですか。カメラは切り替わらない。そして定点ではなく、ハンディカムぐらいのブレる視点、揺らぐ動的なアングルの妙な生っぽさでグイグイとドタバタのシンに寄っていく。(#1)

あのシーンは、普通に絵コンテ切って台詞回しに合わせてアングル変えて意味づけして整理すりゃあのシーンは流行りのイイ感じのアニメっぽくできる。なんならそこに回想やイメージのカットインを数コマ入れたりもできる。そうやってイメージを切って繋げて練り上げる、それはアニメの持ち味だろう。

でもそれはある意味で逃げなんですよね。切るまでもなく繋がっている、まざまざとあそこにある、ああいう居合わせたくないなーっていう空気というか空間の、そこに居るのなら居合わせたくないのに居合わせざるを得ない現実の、生っぽさからの。

その生っぽさを出来るだけまるっと表現するためのワンカメワンカットのあのシーンで、それによって逃げ場がない、あの現場感、臨場感がある、アスカとシンジと共に取っ組み合ってのたうち回る、準主観カメラアングルになってる。

多分プロのカメラマンからすりゃ素人くさい下手くそな一連のシーンに見えるかもしれない、その生っぽさ。四苦八苦のその先にたどり着いた生っぽさよ。スマホで動画を撮れば得られる、あの時あの場所に私は確かに居合わせたという実感の、あの生っぽさへの親しみよ。プロっぽさよりその生っぽさが、強く訴えてくることは往々にしてある。とにかく、そのアニメじゃない生っぽさを体感させるのが狙いだったんじゃねーかなと僕は思う。(※2)

ちょっと語り過ぎでフレームレートからズレてきましたが、あのシーンはフレームレートが上がると表現する側も観る側も逃げ場がなくなる事を上手く活かしているっていう、そういう話です。下の記事が参考になったのでペタリ。(※1')

「割と僕らは実に普通に自然と騙されて現実を認識しているという事実」
掲げてみたものの、何なんだろうな。言い換えたり例え直したりするとそちらに姿を変えてしまうような。知らんけど。

だいぶエヴァエヴァしてしまったな。
まだまだあるんすよねー語り口が。
とりあえず〆。

(※1※1':1秒24コマのフレームレートを自然律だと感じるのが今の僕ら、もとい今までの僕ら。上に挙げた記事にもあるように、4k24fpsから8k48fpsにスタンダードがなり代わり得るか水準が2つになるのかの潮目なんですよね、この今ってやつは。変わらないようでいて葛藤している。知らない所で。2020年代はそういう変わり目みたいですね。VR技術なんて最たる例だし。エンタメだけでなくアートも。)
(※2:単純に考えると、編集時間が足りなくてプリヴィズからヤーッと勢いで仕上げました説が濃厚か。でも普通の良いシーンにしたくなかったから編集が遅れた説も濃厚。あと余談。あのシーンは巷ですっかり受け入れられて馴染んでしまった安直なフード理論に対してのアンチ・カウンターなんじゃねーかなって思ってます。シン・フード理論。)(日本の撮影現場だとキツキツの予算とスケジュールなので、その道のプロは基本的に現場で新しい事をせずに求められてるものを求められてるように撮るのがいわゆるプロのカメラマンの処世術なのかも知れませんね…と無駄に毒づく。シン・ウルトラマンで庵野は現場に来ないでくれとか言われていたとか聞くと、そういうとこやぞ、と思う所でもある。複雑。)

(Q1:後の記事で触れる事になるあの実写パートへの前フリになるかな?備忘録として記しておく。)

(#1:推察というかプロファイリングというか、あのシーンのモーションモデルになってる舞台役者さんたちのナマの演技がシンに迫ってて、その印象に負けないアニメを作りたかったのかもしれない。舞台役者のブチギレる演技は、準現実なので容赦なくブチギレることが出来る。その迫力は現実的ではない…長くなるので割愛)

あと参照した記事を以下。


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