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シンエヴァ徒然草:||①/

①から2,3,4とシンエヴァ徒然草してみたら、やっぱり一息では出し切れてなくてモリモリ追記とか修正してるので、いったん:||してみようと。ハイ。

①はホントに久しぶりにダカダカ打ち込んだのでアレですね。でもまぁいきなり核心に触れようとしている姿勢は一番かも。ちとここで補足していってみよう。

「ガフの扉は瞳孔でしょ」というのには他の示唆にも繋がっていて、①で言及しなかったその他の示唆と言えば「槍は力、すなわち光でしょ」というのも思っていて。

絶望の槍ロンギヌスと希望の槍カシウス、それは元は同じ光であり、光とは絶望にも希望にもなり得る、つらぬくもの、貫くためのオブジェクトなんだろう、と。

今、この目に見える世界は希望と絶望の光に彩られて照らされている暗闇。暗闇とは絶望ではなく、光が届いていない何物か。絶望でも希望でもない、与えられる光ではなく、暗闇を意思の力で切り拓き、まだみぬ先を意思の光を創造して自らの手で照らして歩んでいくのだ、人類は。(#1)

怪文書モードに突入してましたね。あぶないあぶない。まぁなんつーか草4で取り上げた冒頭のパリ市街戦を省みてヒントを見つけた気もするので記述。

実際、8号機がマリオネット状態で吊られててボール(あの深海探査機みたいなやつ)をセットしたら試合もとい上演もとい戦闘開始になって…いや脇道それ過ぎ。まぁかなり示唆的なんですよ。冒頭のパリ。

そんで何だろう、使徒バエがゾエトロープ的な舞台装置だとしたらあの馬鹿げたバカデカ粒子加速砲は何なんだろなと思ったんすよ。はい。

んで「あ、あれって映写機…かな?」って思って。多くのエヴァモドキ使って巨大な電池を連結してその力を強力なビーム光線として解き放つ。あのビームは最新のメチャ売れ映画がモデル…なんじゃないですかね、と。うーん割と遠いか?先にあげた言及をなぞらえれば、光とは力で目に刺さるわけですし。

うーん光。フィルムの頃はフィルムと光でできていたんですよ映画って。フィルムを透過した光、透過光だったんですよ映画って。でもデジタル全盛になって、全てが全て、光でもフィルムでもない、デジタルデータに全てが置き換えられ、複製されて、そこからフィルム無しでデジタルデータだけの光が映画となってスクリーンに照射されている。(#2)

いやコレは自分の中ではやたらしっくり来てるけどうまく語れてないヤツだな。ハイ。てか今Twitterに飛んでみたらちょうどいいのがあった。

究極を言ってしまえばコレ。イマジナリーとリアリティーのホニャホニャは、結局の所コレ。 あの印象的な月光、風光明媚の夕焼け前、土の匂い。全てコレ。人が立てる場所はそこしかない。(※1)(※2)

もう着地点が迷子になってますが、草4で取り上げた「割と僕らは実に普通に自然と騙されて現実を認識しているという事実」っていうのは仮称アヤナミレイがゼーレにプログラミングされている感情回路の事でもあって、んで「それでもいい。良いと感じるから」と答えた彼女は素体から個体、個体から主体となって自我が芽生えた、と。その主体が鍵なんだと思うって話。

んでまぁ「騙されて現実を認識している」という言い回しが拙いな、と思ったので修正したいなぁと思ったんですけど誤謬とか誤認だとなんが違うなって思って。勘違いとかすれ違いとも違う。ただ、「騙されて」って言葉は良くないなと思って。まだしっくり来る言い換えが思い浮かばないとので、とりあえずここまで。ヒャーなんか今回すごいな。とっ散らかり過ぎ!(※3)

(#1: 光は神から与えられるもので、希望の光も絶望の光も等しく眼に届く。という考えではなく、神とは光そのもののことで光に神を見出すのはヒトのイマジナリーが為す現象であり、現実には光は光であるので神はリアリティーに存在しない。ただ、眼球は現実・リアルに剥き出しで脳と直結している唯一の器官なので、眼球に突き刺さる外界の光は脳内に焼き付きリアリティーの光は脳内のイマジナリーの電子パルスに変換される。とかなんとか。)

(#2:ネブカドネザルの鍵を取り込んだゲンドウくんのお目目はご覧のとおり。モノアイ化しちゃってますよね。アレは現実・リアルからの遮断装置かつ変換装置って事で、ゲンドウくんは視覚を情報・データに即時的に読み換えている。と同時に書き換えている…って事なのか。しかしリツコの銃撃を受けても平気な所を見ると、あの視覚センサー的なガジェットも脳自体も形骸化している。あの眼、モノアイに該当する部位、あれを光球と考えるとゲンドウくんは発光体として光を照射する側に属する…という事か。云々。)


(※1:シンエヴァ徒然草を始めた動機の一つに『僕は「あの映画の中のシンジが泣きながらレーションを口にしたあの月明かりと、金色に目に映る夕焼け前のあの空をまた見たいな」って理由で2回は観てます』っていうのを吐露したかったんですよね。すごい見覚えがある映え方で…あの映え具合、鬱明けに出会いがちな風景な気がするんですよね。似たような感覚の人が多分いるんじゃないかな…って。)(補足:空が見たいってだけじゃないですよ!あの空を見てからの、あのしっちゃかめっちゃかな姫マリが見たいってのも理由に複合してます)

(※2:補足。スクリーンにおける空の描写として、ある意味で特殊だったんじゃないかな?って思う所でもある。特撮の空を読んでから触れてみたい話題。引っかかっているのは下の空のような感じというか、移ろってゆく空が目に映る風景とカメラで撮った画像は、印象からして結構違うんですよ。写実と印象の堺の感じが特撮的というか。)

(宮崎駿が見ていた空と上の写真は同じ空なのだが、その時に宮崎駿が見ていた・見出していたものと今この画面に映っている画像は同一ではない。)(一般的な空の特殊性として、リアルの空は視覚的にかなり特殊な見え方をしているという事実を受け入れる必要がある。絵、または現像された写真は物質なので反射光となって空色として目に映る。液晶モニターに映し出される空はデータを光に置き換えて照射される光として目に映る。しかし実際の空は元々は強烈な太陽光であり、その光を地球の大気で透過して目に向かってくるものと、地表まで届いた太陽光が反射してまた大気に届いて柔らかく乱反射したものも含む。つまり直射光・透過光・反射光全てが混ざり合ってようやく目に空として届くという、情報としてのスケールがそもそも違う。そう言った意味ではスクリーンに映る空は絵画や写真、液晶モニターに映る空と比べて実際のものにかなり近い。元々が光そのものでありスクリーンを経て目に届く。などなど。)(良い参考になる記事を下にペタリ)

(「割と僕らは実に普通に自然と騙されて現実を認識しているという事実」案件か。こんな科学的事実を知っていようが知らなかろうが、空は空だ。)

(※3:「あなたは騙されている」と指摘して「あなたにだけホントの事を教えます」っていうのはカルト・マルチの常套手段。それと「騙されて現実を認識している事実」って言葉が混ざりやすいな、と。)

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