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元日や晴れて雀のものがたりー独訳俳句考①

明けましておめでとうございます。学校が再開された事実に打ちのめされている遠浅です。へばっているうちにクリスマスが終わり年越しが終わり公現祭(1月6日ドイツの祝日)が終わり…とはいえ明けてしまったものは仕方がない。今日は正月休み追悼の念もこめ、服部嵐雪の句「元日や晴れて雀のものがたり」のドイツ語訳

Am Neujahrstage
Sich offenbar die Spatzen
Geschichten erzählen


を考察してみたいと思います(訳はReclam文庫Haiku Japanische Dreizeiler S.12から)。

「元日や晴れて雀のものがたり」…皆さんはこの句からどんな情景を想像するでしょうか。私が連想したのは、サザエさんに出てくるような一戸建てと、その縁側に立つ嵐雪、彼の前に広がる庭とちゅんちゅく鳴く雀、でした。一応お断りしておきますが、遠浅自身は文学畑の人間でもなんでもなく、以上のイメージも遠浅個人の印象です。

ここで気になるのが雀の数です。ざっと考えられるのは、雀が①1羽でちゅん②数羽でちゅんちゅん③たくさんちゅんちゅん④嵐雪も一緒にちゅんちゅん、の4通りでしょうか。具体的な雀の数は読み取れませんが、「晴れて」に「晴天」と「晴れて~する」の二語が込められていると捉えた場合、初めに開けた空間のイメージを作っておいて、その後、即座に雀を焦点化する、そういう視点の切り替えがなされている気がします。まるでカメラが青空から、地面の雀にパッと切り替わるような。その対比を強調するのであれば①か④が妥当でしょうか。個人的には③以外であればどれでもいいかな(③は電線いっぱいに雀が止まっている、いわゆる雀集会のイメージです)。


ではドイツ語訳を見ていきましょう。一応、単語の意味も付けました。

Am Neujahrstage
Sich offenbar die Spatzen
Geschichten erzählen

Am Neujahrstage(元日に)/sich erzählen(物語る)/
offenbar(明らかに)/die Geschichte,-n(物語)/der Spatz, -en(雀)

さて雀…って複数形(die Spatzen)になっとるがな。もともと句に盛り込まれていない嵐雪おじさんは当然影かたちもなく、さらに再帰的な表現 sich erzählenによって、「ものがたり」の主体が雀どうしであることが確定されています

ここからドイツ語訳版では、複数形と単数形をめぐる解釈の余地が、大幅に切り落とされてしまっていることが判ります。俳人・金子兜太が、松尾芭蕉の有名な「古池や蛙飛び込む水の音」に対し、蛙はたくさんいるというユニークな解釈をした、という話を読んだことがありますが、この訳では解釈可能性が最初から②と③に限定されてしまっているのです。

あと気になるのがoffenbarでしょう。独和大辞典には副詞の用法として「(陳述内容の現実度に対する話し手の判断・評価を示して)明らかに~〔らしい〕、見たところ<どうやら>〔~らしい〕」とあります。私は「晴れて」を「晴天」と「晴れて~する」の二つの意味で取りましたが、この訳では後者のみが盛り込まれていることになります。

ちなみに日本語が堪能なタンデム・パートナー(ドイツ人)に、ドイツ語訳からどんな情景を思い浮かべるか訊いてみたところ、「元日に雀が互いにちゅんちゅん言ってるのを見て、なるほど雀もお喋りするのだな、と合点がいく感じ」という答えが返ってきました。彼女によるとoffenbarは、何かがふとした瞬間に「明らかになる」イメージらしいです(この後、元の作品を見せたら「韻律を整えるためにoffenbarにしたんだろうね、意味違うけど」という反応でした)。翻訳を読むとはすなわち翻訳者の解釈を読むことだ、とは言いますが、俳句は作品が短い分、「解釈」の存在感が大きいように感じます。

ということで、ひとしきりドイツ語訳にケチ(笑)を付けましたが、私の鑑賞も色々と怪しいんだよなぁ、と一人ごちて筆を置きたいと思います。服部嵐雪は蕉門十哲の一人、江戸前中期の俳人です。当然、サザエさんに出てくるような昭和の庭付き一戸建てに住んでいた訳もなく…日本語で鑑賞してもちゃんと鑑賞できてるか解んないですね(笑)。

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