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映画トルーマンショーと唯我論

自分の死後も世界は続くのだろうか?などと言う人がいると今でこそ「何を感傷的なことを言ってるのだろう」などと思うが僕も20代後半までは自分以外の人間がもしかしたらロボットではないか?とか自分はこの世の中で特別な存在なのではないか?などという唯我論に取り憑かれていた。

 映画、「トゥルーマン・ショー」は僕の描いていた唯我論の世界に近く、いたく感動したものだ。また「世にも奇妙な物語第242話」で放映された「 ロンドンは作られていない」もかなり自分の感覚に近く、清水義範の原作「唯我独尊」(黄昏のカーニバルに収録)まで探して読んだりもした。

 30歳を超え、家庭を持ち、歳を取ってくると段々とそのような感覚は薄れた。それはもしかしたら死への恐怖が薄れていくのと似ているのかもしれない。

 以下に「 ロンドンは作られていない」のあらすじを引用する。

あなたも自分はなぜ自分自身で他の彼や彼女ではないのか?と感じたことは無いだろうか?あなたがテレビで見るまだ行ったことの無い都市や宇宙の映像はもしかしたらCGかもしれない。

 あらすじ

主人公の佐野は昔から自分の世界が作り物なんじゃないかと漠然と思っていた。

家も町も大きな舞台のセットでセットの外側から誰かが自分を監視しているじゃないかと感じていた。 自分が「遊園地に行こう」と家を出るとそれを誰かが監視していて先回りして 遊園地を作っているんじゃないのか、本当の世界は真っ白でなにもなくて自分が移動しない限りなにも存在しないのではないかと不安に思っていた。 そしてその不安は日に日に強くなり佐野を悩ませた。 佐野はそれを確かめるべくロンドンに旅行に出かける、いくら監視者でも 外国までは創りだせないだろうと考えてのことだった。 しかしロンドンは佐野が思っていたような真っ白いなにもない世界ではなくTVでみるようなロンドンの町並みがちゃんと存在していた。 佐野はそれでもまだ誰か自分を監視している者が先回りして世界を作っているんじゃないかという疑問を捨てることが出来ない。 そんな彼の話を聞いていたカウンセラーは「ロンドンは作れませんよ」と 佐野をさとし白い廊下へと彼を連れてゆく。 自分の頭がおかしいのかと一度は納得した佐野だったが周囲の カウンセラー達の様子がおかしいのに気がつき先程のカウンセラーの方を振り返るとそのカウンセラーが佐野の額に向かってリモコンのスイッチを押した。 ウィィィンと機械音をたてて佐野の額からMDのようなものが出て来る。 もう少し調整が必要だなとカウンセラーは呟き廊下の先にあるドアを開ける。 ドアの外は真っ白ななにもない空間だった。 キャスト: 野村宏伸/仲谷昇放送日: 1992年 冬の特別編

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