見出し画像

架空人物の扱いやすさ


noteを始めてから大体3ヶ月ほど経ちました。
思ったことを点々と書いている私なのですが、時には不満を書いたりもします。

その時に、
私はこういう人が嫌いです。とか、私はこういうのはバカだと思います。

とか書くのは、好きではありません。

でも書きたい。そういう時に架空人物って凄く便利なんですよね。

架空人物を仮にAさんだとすると、そのAさんに「私の嫌いな人」を演じてもらえば良いわけです。
そしてBさんがAさんに向けて「私が何故嫌いなのか」を含めて注意してもらう。

こういうシチュエーションを、短編、物語として創作するだけで、間接的に伝えることができます。

①私→読者から
②私→物語→読者にしたということですね。

私の伝えたいことは同じです。
「私はこういう事が嫌だ」というのがメインテーマです。

では仮に読者が私の嫌だということに対して否定的だとしましょう。

①だと私に対して嫌に思う人が出ます。

あの人の意見は賛同できない

あの人嫌い

となり、「嫌い」の矛先が直接私に向きます。

一方、②の場合は、物語の人物を嫌います。

Bの意見は分からない

Aは好き、Bは嫌い

となり、矛先は架空の人物へ。私は無傷です。

この物語を考えたのが私であっても、「私の考え」とは捉えられないためです。


ネットとかSNSの文章って多分こういうので溢れていると思います。

例えば「芸能人の〇〇が嫌い」とSNSに書きたいとします。

普通に投稿すると、何かしら批判が飛んでくるのではないでしょうか。

しかし少しいじって、「大声で『〇〇嫌い』って言ってる人いるw」などと他者を創作して投稿することで、批判は激減します。

とりあえず、

自己防衛としてはとても便利だけれども、

厄介な行為であることは間違いないですね。


リスクが少ない故に行動がエスカレートしてしまってるのをtwitterとかではよく見かけます。

ほんとそういう人たちみたいにはなりたくないですよね。見ててアホらしいです。訳分からん。


って昨日友達が言ってました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?