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aftersun

aftersunを観た
正直私自身の中に触れた作品だったので書いて投稿するのもいかがなものかと考えたが、ずっと秘めてたものをこうやって書き出せたってすごく大事なことだと思うのでここに置いていく。

改めてみて当時の幼い子どもの頃なんて親の考えてることなんて分からないし、そもそも経験値がないので大人を理解する為に思考を張り巡らせることなんて到底できない。

でもいざ年齢を重ねて色々知ってきたとしても、他人の心の底を垣間見えてしまうことより、親の考えてることを知ってしまうことが私はとても怖い。

もちろん大切に思ってるけど、いざ会話の中で苦しんでいる本音を見つけてしまうと、聞かなかったことにしてその場から逃げたい気持ちになる。

いい年した大人になっても親の前ではいつまでも永久に年齢の変わることのない子どもでいたい。

そうすれば「分からない」ままで居ていいんだって心が楽になれるんだけど


本編では別れた父と娘がリゾート地で夏休みを一緒に過ごす話がメインではあるが、娘のソフィが父に多少の違和感を感じながらもそれが何なのかまでは分からず、父のカラムもソフィには見せない一面が映される。
そして、カラムの年齢になったソフィがその地で撮ったビデオカメラの映像を自宅で観ている。

考察を読んでみて絶対的な答えでは無いだろうけどある程度シーンでときどき感じた違和感が何なのか分かった。

しかし、それとは別で私は私で父との想い出をそのように振返りたいかと言われたら全くそんなことない。

まだ生きていた頃の父はどんなことを抱え、考えて私を連れてハワイや上海に連れて行ってくれたのか、家族みんなで母の実家のあるフィリピンへ行って夏休みを過ごしたのか。

父が当時を過ごした年齢まで私はあと20年くらい足りない。けど、私が死ぬまで父との思い出は子どもの頃から変わらない煌めいたものであり続けたい。私から見た父はそれが実は本当の姿ではないとしても、私にとってはそれが真実である。

とても情けない話をしてるけど、見えてしまったことが怖くて耐えられない私はまだいつまでも未熟な大人なんだと。


親の泣いている姿を、人身事故現場を見てしまうより見たくないとある日ぽろっと友人に漏らしたことがある。

その理由をこれ以上考えたくなかったし、文字にすることをしなかったけどこの映画を見たことで思っていることの続きを書けた。

こんなに不完全でダメダメな私だけど、自分が本当に思ったことは受け入れていきたいし、今は逃げてしまうことも時間をかけてゆっくりと許せるようになれたらなと思う。












 

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