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東京の大人かのようなお出かけ

はじめに

 自分の偏った認識がそんな感じなだけかもではあるが、ゴールデンウィークにいかにも「さも東京に暮らすそれなりの大人かのようなお出かけ」をした。あーーーーー、と思いながらも楽しみはした反動で、なんとなく旅行記的なものを書いてみる。

旅行の発案

 大学から続く友達との計5人(高校から同じ人もいる)からなる関係濃いめのLINEグループがあり、そこでゴールデンウィークに長野・山梨らへんに行こうという話が出た。僕は「人を遊びに誘えない病」を患っているため、このようにグループ内で他の人が企画した遊びになるべく乗っかることで人生に遊びを発生させている節がある。そういう深さのあるグループに計2つ属している。
 山梨で見たい展示があり、それを旅程に組み込んでもらうことで参加することが完全に「是」となった。それ以外の計画や手配は全てお任せ。ありがとう。全く苦じゃない運転は好きなだけ任せてくれていいとした。

道中

集合とタイムズ

 朝7時台に集合。ちょっと頑張って早めに集合することは、一日が長く感じられるプラスの方がでかいので良いことだと思う。僕は睡眠が苦手で早起きに向けて緊張した結果、21時就寝の3時起床となり、想定以上に一日が長かった。寝坊するよりはよっぽどいい。
 渋滞もあり最初の目的地まで4時間ほど。車はタイムズカーシェアで友達が借りてくれた。道中、タイムズステッカーが貼られている車をかなりの頻度で目撃。運転を替われるように事前に自分も会員登録をしたのだが、その際に近所のステーションを調べたときもその密度に驚いた。実際にこんな割合で見かけ、タイムズカーシェアのシェアに関心。

乗馬体験

林道に向けて敷地を出て行くところ

 まずは長野で乗馬体験。動物を直接的に使役することに抵抗を感じつつ、直接的かどうかの違いはあれど常日頃から間接的には全然やってるわけで~~と軽い言い訳だけして、なるべく楽しもうの気持ちを握りしめる。
 最初は敷地内で乗馬して仕組みを教わりつつ練習。あらゆる客層(馬に接する温度感、乗り物慣れ度、落ち着き度とか)に対応しているであろう、網羅的かつ軽快な達人的ガイダンストークを拝聴。馬術の歴史はかなり深いわけで、馬具を用いて馬を制御するためのシンプルかつ直感的なインターフェースは興味深かった。そのガイダンス手法の歴史も同様に深く洗練されているのかもしれない。芸があった。
 練習を終えると敷地外に出て、周辺の景色が良い林道を巡る。練習前にスタッフの方にスマホを渡していて、練習中から敷地外に出るまで色んなパターンの写真を一通り撮りまくってもらえるシステム。それでストレージが尽きる可能性は低いわけで、「撮れ足りないよりは撮り過ぎてる方がいい」という前提を感じた。その通りである。上の写真もその一つ。たしかに助かる。そのスタッフさんが「ラルフローレンのポロシャツ」を着用されていたのだが、他で見るそれらには無い正当な風格を勝手に想像するというか、環境にふさしい感じがして、見事な似合いっぷりだった。
 「乗馬体験」という言葉も少し不思議である。そんなことを言い出したらあらゆるアクティビティを「○○体験」と呼ばねばならない。「ろくろ体験」や「そば打ち体験」といった「○○体験」と呼ぶ方が聞き慣れてそうなものは、「体験」とつけることでその種目のごく一部のみを仮想的に経験するものであることを明示しており、そう呼ぶことでその種目の品格を守りつつ、同時に参加ハードルを下げているのかもしれない。

中略

ど晴天な清春村

 天候にも恵まれて心地よく、見たい展示も見れて。自宅には劣るが過ごしやすい環境で過ごして連休感をクリアできた。友達がAirbnbで手配してくれた部屋に宿泊。しかし未だにAirbnbというものをよくわかっていない。いい感じのスペースだったし楽しかったが、ここで夕方から朝まで過ごすことに対して、どうしてみんなで家賃みたいな額を払うことになるのかはよくわからなかった。翌昼に続く。

ミニキャンプてきな

 一泊二日の二日目。スーパーで食料を調達してからキャンプサイト的なところへ。そこではあらゆる道具が借りられて、あらゆることを解決してくれるおじさんがいて、非常に都合がよく、実に少ない手間でバーベキュー的なことを遂行できた。またそこには人工的な池が自然風に作られており、安全に食べられる魚が放流されていて、それをレンタルした釣り具で教わったようにやると釣れて、規定匹数を釣ったらもらった串にその魚を刺して、もらった塩をかけ、自分たちで焼いて食べることができた。便利。ちょうど楽しいポイントをクリアできてるっぽい。終わりに炭の廃棄処理などもしなくていい。下手に処理されるより置いといてくれた方が助かる的な雰囲気。Win-Winである。鉄板を洗う必要すらない。
 とはいえ、とはいえである。あーーーーー。わかる。実際に助かる。助かるに相応のお金も払っている。でも何かが違う。これはフェイクである。別に、何がどうであればフェイクかどうかとかいう基準やこだわりを明確に持っているわけではないのだが、体感としてそうなのである。体感としてそうだと言ってしまえば無敵である(「無敵」というか「信頼」の話になる)。

早めの解散

 19時ごろには戻ってきて、各自の家付近を通るたびに降車していって順次解散。早めにバラけると片づけや翌日の感じがかなり楽になる。なんなら帰宅後にちょっと別のアクションに手をつけられたりもする。早起きするのと同様に、早めに解散するというのも良いことではなかろうか。なかろうか?? ほんまに??? いや、そこには大きな寂しさがあるんちゃうかとも思う。
 以前はもっとギリギリまで遊んでいたはず。そもそも予定詰め込んでさ。さらにダラダラ長引かせてさ。でも、今は、ちょっともうある程度でここらで帰ろうみたいな合意が取られているかのように、暗黙の何かが働いている。目途が立ちすぎている。これは必ずしもいいことではなく、大人的な思考に感じる。こう思うということは、そもそも「大人的な思考/嗜好」をよく思っていないということか。数えて何歳になろうが大人にはなりたくないものね。頑なに。

翌日

翌日①

 「蚊のレベルではないな」と思いつつ放置していた、キャンプ場での虫刺され3か所がズキズキと傷み直径40mmほどの腫れになっていて痒い。都会人が気軽に赴くキャンプ場であるからには、そういった虫は全て駆除しておいてほしい。不便なのかよ。都合がいい態度をとってみる。

翌日②

 日比谷で見たいものがあり、朝の予定後になんとなく渋谷から日比谷まで歩いてみた。渋谷の雑多な賑わいから、表参道の強いブランド店舗群、青山になるにつれて店舗の風格が上がり、乃木坂から赤坂にかけてよりハイソに、重々しいと思ったら永田町、とかなんとか感じながら、何度か来たことのある有楽町・日比谷エリアへ。行ったことある劇場が多いのは昨年度の成果。
 イヤホンつけて自分の領域を確保しながら東京都心を歩くのはわりといい。適当に歩いてみたら歩けてしまう範囲の中で、立ち現れる街並みにそれぞれ特徴があっておもしろい。自分にとっては「宛てがある」のは必要な気がする。「宛ての無い散策」の場合には真っ先に帰宅してしまうので。

翌日③

とりあえず氷をばらまく潔さ

 腹を空かせて到着した日比谷・有楽町エリアにて、うろうろした結果どこにもピンと来ず、結局は慣れた吉野家へ。ええけど。自分には「ファミレスやカフェでゆったりする」みたいなモチベーションがピンと来ていない。手ぶらというのもあるが(ノートPCがあれば前提が違う)。
 このエリアの吉野家というのは、休日の吉野家界で日本トップクラスの「常時忙しなさ」ではなかろうか。作り置き形式のお冷が次々と捌けていく様は見ていて気持ちがいい。どっと氷の塊を乗っけてバラけさせて各コップにそれらしく分配し、ざっと全体に水をそそぐ。コップの外側が濡れることなど気にしない。こういうのを見ると落ち着く。
 こっちの方が自然やからかもしれんな、とか思ったり。自然を楽しむと称して行った先の山に、人工的でサービス満点な釣り堀があるのは不自然で、東京の各所に合理化された街並みがあるのは自然やと感じるてきなこと。

1年ちょい

 28年住んだ京都から東京に来て1年ちょい。まだまだ新鮮。今のところ東京のことはかなり好き。色々あって便利やし。便利な方がいいし。極めてほしい。
 友達に「サブカル好きやねんから下北らへんがええんちゃう?」と言われ、他にあてもないし悪くない気がしたので、わりとその沿線に住んでいる。別に下北行かんけど。下北の新開発された施設とかに対しては何も萌えない。一方で表参道とかはおもろい。行かんけど。じゃあ下北と表参道はどう違うん?と聞かれると、成り行きが自然そうかそうじゃないかてきなこととかがポイントになるのかしら?? 知らんけど。有象無象による偶発的なとか、なんらか自然発生的に定着した、その場所ならではの筋が通って合理的な街、みたいな、そういう都会を好んでいるのかもしれない。知らんけどね。
 東京は無限に見える。今のところずっと今の家でいい気持ち。引き続き東京を歩いていきたい。