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「ひとり」で戦う。〜「嫌われた監督」評

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今週は誰が書いているのか。その人が書いているかどうかで読むことを決める何人かのライターがいる。例えばそれは藤島大さん、後藤正治さん、近藤篤さん、小宮良之さんもそうだ。

でも最近は何と言っても鈴木忠平さんだ。一連の清原和博をめぐる作品や、オリンピック4位の選手のその後を書いたシリーズ。アスリートの最後の試合だけで競技人生を描く「ラストマッチ」鈴木さんの作品で、面白くないと感じたものは少ない。

いま話題の「嫌われた監督」
2004年から2011年。自分も現役のディレクターとして野球の現場にいた頃の中日・落合監督の戦いを追ったノンフィクションだ。

当時、野球の現場にいた世代にとっては衝撃であり、ある種の痛みを感じる本だ。もしかしたら拒否反応を示す人もいるかもしれない。なぜなら、当時みな落合監督の行動には、違和感を持っていたからだ。

マスコミに対する極端に不親切な対応や、荒木と井端のポジション変更、そして日本シリーズでの完全試合目前の投手変更も。

「落合は何を考えているんだ」あるいは「落合だけにわかる何かを感じたのではないか」そんな違和感を覚えながら、その事を突き詰めることはなかった。「オレ流」という曖昧な箱に押し込めて。

気になった表現者には、伝手を辿って会いに行くことがある。近藤篤さんも小宮良之さんもそうだった。仕事にもつなげたかったけど、シンプルに話がしたかった。

桜新町のオープンカフェのような場所で会ったのは去年の秋。男前で腰の低い鈴木さんと話し始めると、すぐに会話は弾んだ。どんな話をしただろう。マスクを外してビールを飲んで、また話す。2時間はあっという間に過ぎた。

その頃「嫌われた監督」は週刊文春で連載していた。文春砲まっさかりの頃。でも、鈴木さんの文章はスキャンダリズム全開の雑誌の中でも、全く負けていなかった。僕はその事を興奮気味に伝えたと思う。

例えばそれは、絶好調の時の伊坂幸太郎が漫画雑誌モーニングの巻末で「モダンタイムス」を連載していた事に似ていると。
連載小説だって、面白さで漫画に負けることはない。それは挑戦ではなくて、自分が信じる「事実」の証明のように思える。言葉にしなくても、伊坂幸太郎の思いは伝わってきた。それくらい気高い挑戦だと、本人を前に僕は語った。鈴木さんも、きっと困ったと思う。

でも事実そうだった。落合監督が大切なものを失くして狼狽するシーンで終わった回など、次週へと引っ張る、物語的なフックも散りばめられていた。あの連載を楽しみに週刊文春を買っていた人も、かなりいたはずだ。

物語の冒頭、鈴木さんが落合監督に出会った頃の描写に引き付けられた。PCや資料を詰め込んだ鞄を肩に「毎朝、ただただ眠かった」と鈴木さんは書いた。
その倦怠感と無力感には覚えがあった。アポもなく会社を出てゲームセンターに入り浸っていた頃が、僕にはあった。やる気はないのに、与えられた仕事にも身が入らず、締め切りギリギリまでダラダラ過ごす。その癖、携帯電話の振動を何より恐れていた20代後半の日々。膨れ上がった自我と、周囲の世界との折り合いのつけ方がわからず1日が終わるのを待っていた。

そんな鈴木さんと落合監督の何が響き合ったのか。
読み進めれば、それはわかる。

「お前、ひとりか?」

落合監督は、鈴木さんにそう呼びかけた。その記述が折々に登場する。
落合監督は、怪我でお荷物になっていた川崎憲次郎や、祖国でくすぶっていたブランコなど「ひとりきり」の選手に、暖かい眼差しときっかけを与える。かと思えば、才能に甘えていた森岡や、守備の達人の座にいた荒木など現状に安住している選手を、強引にチームから切り離し「ひとり」の状態にする。

選手やコーチたちは突然の状況に戸惑い、落合監督を時に呪い、時にその真意を探りながら、今までにないほど「自分自身」と向き合う。それは荒療治と言う言葉では表せないほどの、強引なやり方だ。
結果が出た選手だけではないことは、容易に想像できる。

ある種、巨大な野球部OB会のようにも見えるプロ野球界。その中の異物として生きてきた落合監督が、自らの「異物性」を限界まで突き詰めようとする道のりが作品には描かれている。

お前らが束になったって、俺の「ひとり」には勝てやしない。しかし、その戦いの勝利が落合をますます「ひとり」にしていく。

そこまでして、なぜ?

勝利という結果や自分の生き方の証明が、そこまで優先されるべきものなのか。そういった疑問はもちろん浮かんでくる。落合自身が、そういった道を最初から志していたかどうはわからない。しかし落合はマッドサイエンティストや宗教家のように、全てを投げ打ってその道を進んでいく。

そうだ、と思い出す。

2007年、落合が頭を丸めた姿。あの姿を見た時にも、僕はギョっとしたのを覚えている。これは異様だ。何か普通じゃない。そう感じて、だけどその感覚をそのままにした。

週刊連載に大幅に加筆した単行本。情景を描く比喩に豊かさを増している。一方で、週刊連載の時に感じた危うさ。この物語はどこに転がっていくのか、ジェットコースターに乗っているかのようなスリルは若干薄まったようにも思う。(再読だからかもしれないが)
完全試合の日本一までがクライマックスで、そこからの展開はややスローダウンしたようにも感じた。

しかし、監督解任からリーグ優勝までのくだりは圧巻。人間の「業」のようなものを、突き詰めに突き詰めたその先にあったドラマはぜひ実際に読んで感じてほしい。
落合監督という巨大な謎。巨大な才能。そして巨大な孤独。
その間近で全てを体験できた事は羨ましいとは思う。

でも、悔しくは思わない。
鈴木さんでしかこの取材はできなかった。あるいは、この時期の鈴木さんにしかできなかった。そのことが読んでいく上で納得できるからだ。

鈴木さんが何かの仮説を抱いた時、当事者に確かめにいくシーンが何よりも好きだ。
落合監督の家の前で、ベンチ裏の廊下で、あるいは球団オーナーの家の前で、当事者を待つ時のドキドキした気持ちは想像できる。

取材っていいよな。
船戸与一のように分厚い本を読んだ感想としては、あまりに稚拙な感想だけど、結局はそういう事なんだろうと思う。

取材でなくてもいい。誰かと誰かが出会うことの不思議。化学反応の末に、自分が削ぎ落とされて新たな自分が見えてくること。不安定な時期に、思い切り誰かにぶつかって、成長すること。

誰かの熱と誰かの熱が反応して、人の人生や社会すらも変えてしまうこと。

昨日の深夜から、今日の昼。一気に読んで、一気に文章を書いた。

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