#16 「心が震える」陸上・新谷仁美
取材するアスリートがあまり調子のよくない時、制作者は2つのタイプに分かれる。
「面白くなってきた」とまでは言わないが、物語が動き出すことを期待するタイプ。あるいはアスリートの状態を自分のことのように受け止め、苦しんでしまうタイプ。
人として、どちらが誠実かは言うまでもない。私は前者であり、取材ディレクターは後者であった。
新谷仁美の心と、何かがシンクロした。
新谷の表情、言葉、そして走り。すべてが圧倒的だ。
発言はその表情のようにコロコロと変わり、その全てが切実。嵐のような熱情。それが言葉になり、走りとなり、怒りとなり、涙になる。
新谷と関わる人はきっと、その波動を全身に浴びることになる。その嵐に弾き飛ばされない人は特別な人。そして新谷は、その特別な人を見極めることができる。
この人なら、大丈夫だ。この人なら、私の全てをぶつけても大丈夫だと。
それがきっとコーチの横田さんであり、ディレクターでもあった。
新谷が悩みに落ちていくとき、ディレクターも一緒に暗い穴に落ち込んでいるように見えた。取材や番組の行く末を心配しているようで、もっと深いものに巻き込まれていくようで心配した。でも、どうすることもできない。
潜水士のように深い海に潜るのがディレクターならば、 何かをつかんで水面に顔を出してくれることを待つだけ。
心はきっと、振動や周波数のようなもの。音楽が空気の振動であるように、人の言葉が空気の振動であるように、きっと心も何かの振動であり、周波数だ。
心が震えるとき、心と心が震えるとき、ふたつの心は、ひとつのように共振する。頭が理解する前に鳥肌が立つ。心臓を鷲掴みにされる。あまりに圧倒的な振動を発するものを前に、言葉や論理はどちらかと言うと防波堤だ。
それは特別な経験。何度とない。少し怖くて、でも引き込まれるような感覚。辛かった過去も、誰かと響き合うためのものだったように思える。誰にでもきっと、心当たりはあるはず。
柔らかく傷つきやすく敏感な魂のとき、だからこそできること。
最後のロケから帰ってきたとき、ディレクターは憑き物が落ちたような表情をしていた。日焼けした腕を笑いながら、新谷さんが少し前向きになっていたと、嬉しそうに語った。
ナレーションはディレクター自身がすべきだと思い、そう提案した。
読みが下手でもいい。その不完全な声が、どこか遠くの不完全な心と、また共鳴するはずだと感じた。
私の心が震えたように、あなたの心も震えるといい。
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