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映画「怪物」に寄せて〜是枝裕和は、走り続けるしかない〜

映画「怪物」を見た。
是枝さんが初めて脚本家・坂元裕二さんと組み、カンヌで脚本賞を獲った映画。どんな化学変化を生み出したのかと気になっていた。

ドキュメンタリーを志すテレビマンにとって、是枝裕和は複雑な存在だ。
テレビドキュメンタリーの世界に残した数々の名作。特に是枝さんの「一人称」の視点が感じられる作品の数々は、彼が書くエッセイなんかと共に「こんな風な番組を撮ってみたい」と思わせたし、そのスタンスのままに映画の世界に移り、
名俳優達と個性的な映画を作り続け、賞も得た。

多くのテレビマンが憧れて、そして「そうはなれなかった」人として是枝さんは存在する。

そんな是枝さんと一度だけ仕事をした事がある。ケン・ローチという映画監督を何とかして番組にできないかとひとり模索していた時に「万引き家族」のカンヌ受賞の報が届いた。

どこかのエッセイで影響を受け、尊敬する映画監督としてケン・ローチの名前を挙げていたことを僕は思い出した。

僕は後輩のディレクターと、ダメ元で対談のオファーを出して、それは実現した。80代になるケン・ローチと是枝さんがじっくりと話す機会はそれが最初で最後の機会となるかもしれなくて、
それは僕の小さな誇りでもある。

「怪物」とは一体誰なのか。
そのネタバレをせずに文章を書くのは難しいかなと見る前は思っていた。見終わった後、実はそんなことはないと気付いた。
怪物は誰だったのか。それは殆どどうでもいい。
まさか「怪物は、どんな人のなかにもいる」とかそんな陳腐なメッセージでも無いだろうけど、とても優れた脚本なのに、途中からなぜか気にならなくなっていった。
(それはいいこと、なのだろうか)

映画はある事件からある事件に至る過程を、様々な視点で描いていく。シングルマザーである安藤サクラは息子を心配していて、その息子は何か秘密を隠している。
息子の友達は無邪気で謎めいた存在。そしてクラスの担任はつかみどころのない青年。
校長は恐ろしい程の仏頂面で、教頭は事勿れ主義。
最初は安藤サクラの視点で見えた世界が、繰り返し繰り返し裏返されていく。

前半のドラマには、是枝節は殆ど影を潜めている。
俳優達を物語の世界に放り込んで、それをドキュメンタリーの視線で長回しで見つめていく。
是枝裕和が世界にその名を轟かせるに至った手法は捨てられ、場面も視点も恐ろしいスピードで展開していく。完全に坂元脚本の独壇場だ。
是枝さんは自らの手で編集も行う。余韻のようなカットはほとんど排除されていた。
今回は、他人に脚本を任せた以上、ここまでやるんだ。そんな覚悟が伝わってくる。

そして安藤サクラや永山瑛太など、是枝作品を彩ってきた俳優達は、まるでバトルを繰り広げるかのように、それぞれに秘密や痛みを抱える人物を演じていく。
「私こそが怪物なのだ」
その座を、演技によって奪い合うかのよう。
凄まじかったのは校長を演じた田中裕子。菩薩であり般若でもあるような演技は、ほとんどホラー映画のよう。
(知り合いは「あれは、やりすぎ」と言っていた)

視点が変わると、他の登場人物の演技も変わる。真実はクルクルと移り変わる。
伏線と伏線回収のスピード感は、決して飽きさせないし、現代的でもある。でも、どこかトゥーマッチだ。
まるでジェットコースターに乗っているようだけど、あれ、僕はジェットコースターに乗りに来たんだっけ。

広瀬すずや、綾瀬はるか、福山雅治など常に旬の俳優を起用したりフランスや韓国での制作に挑戦したり、是枝裕和の映画は、シリアスなメッセージと共に必ず「宣伝しやすい」取っ掛かりが用意されている。

是枝さんは、今の状況の中でシリアスな映画を作り続ける難しさを知っていて、その為に、常に興行収入という結果を出し続けることが必要だと考えてきたのだと思う。
それは自分の為だけではない。日本の映画業界の将来の為にも、自らが立ち上げた「分福」に集う若手監督の将来の為にも、必要不可欠なことだと信じてきたはずだ。

ケン・ローチとの対談をまとめた新書の中で是枝さんは「僕はケン・ローチにはなれない」と語っていた。でもそれは同時に「ならない」でもあるんだろうなと僕は感じた。
あくまで商業監督であり、その先にメッセージがある。テレビマン出身である是枝さんは、そんな風に自分を規定しているのではないかと。

映画「怪物」は後半が良かった。
詳しくは書けないけれど、少年たちの閉ざされながらも豊かな世界は「誰も知らない」で描かれたものとわかりやすく地続き。
現実社会に居場所を持たない者達が、隠れ家のような場所に築くかりそめの「関係」

「万引き家族」でも「ベイビー・ブローカー」でも描かれた世界観だ。それは、どこか坂元裕二が是枝裕和に出したパスのようにも感じられた。
ここから先は、あなたのお好きにどうぞ、と。
それほど、前半と後半は乖離した作品となっていた。
そしてクライマックスは、ドラマ「あまちゃん」のラストのよう。
どこにも逃げ場所のないはずの子どもたちが、どこかに逃げていくけれど、それはもう現実か空想なのかはわからない。

是枝裕和は色々なものを背負っている。
商業的な成功も、シリアスな社会派監督としての期待も、表現を抑圧するような事象が起きればコメントを求められるし、10年近くBPOの委員も務めたこともある。

大変だろうなと思う。
様々な制約と、自らに課したハードルの中で表現をしていくこと。
そこから逃げることを良しとしない性格なのだろうけど、その息苦しさが作品から伝わってくることがある。
でも叩き上げのテレビマンであり、酒を呑まないワーカホリックでもある是枝さんはラグビー選手のように困難にぶつかっていく。走り続けていく。

頑張ってほしい、としか言いようがない。

映画「怪物」
払ったお金の分だけ、きっちりと楽しめる映画だった。「真実」や「ベイビーブローカー」のように。

ただ「誰も知らない」や「万引き家族」のような120%の是枝裕和、その魂のようなものをぶつけられる作品では、無かった。

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