見出し画像

遅すぎることなんてない、のか

子どもの頃は不思議だった。
小学1年生の時は2年生が、3年生になれば5年生が、とっても大人に見えたのに、自分がその年になったら、全然そう思えなかった。

学生服を着た中学生なんて、お兄さんどころかほとんど大人に見えて、うっすら髭の生えた高校生なんて怖くて怖くて仕方なかったのに、自分がその年になったら、それはただの現実だった。

大学生の頃か社会人になった頃なのか、僕は薄々気付いてきた。きっと同じように、僕は歳を取っていくんだろうなと。

年上の人を仰ぎ見て、自分がそうなったらそうでもなくて、歳を重ねるだけでは、立派な人になる事はないのだろうなと。

ちょっと話は変わるけれど、僕には憧れる人がたくさんいて、その人との歳の差を気にしたりする。

例えば、前田日明とは12歳差。U2のボノとは11歳。茨木のり子とは45歳の違いがあって、真島昌利は9歳年上。

歳の差も気になるし、彼らが「何歳で何を成し遂げていたか」も気になる。
ジョン・レノンがビートルズを解散して「ジョンの魂」を出したのは31歳の時。前田日明が長州力の頭を蹴っ飛ばしたのは28歳。ボノが「ヨシュア・トゥリー」を出したのは27歳で、真島昌利が「夏のぬけがら」を歌ったのも同じ27歳の時。茨木のり子が「汲む」を世に出したのは、39歳だ。

そんな事を考えながら僕は、目の前を通り過ぎていった電車を見るような気持ちになっている。
僕はもう、僕が乗るべき電車を乗り過ごしてしまったような。
そんな残念な気持ちにもなる。

時が過ぎれば、立派になれる。そんなことはなかった。
自動的には、何も成し遂げられない。
僕は僕にふさわしいスピードで、成長していかなければならない。

亡くなった人の年齢だって、気になる。
ジョン・レノンは40歳で死に、茨木のり子は79歳で亡くなった。カート・コバーンは27歳。星野道夫は43歳で亡くなった。

亡くなった人の人生は、その歳で終わっている。輝きはそのままで、それより老いることはない。

そんな人たちの歳を越えて、ダラダラと生きている自分。駆け抜けるように生きた人の年に近づき、追い越そうとしていること。

そんなに絶望的になる必要はないけれど、
「生命の濃さ」とか「役割」みたいなことを考える。

学校も終わったし、部下として生きる時代も終わったから、僕の人生の意味を規定するのは、本当に僕だけだ。誰もほめてはくれないし、本気で否定されることもない。

好きに生きる、事の難しさ。誰かの評価軸じゃなくて、自分の軸で生きることの難しさ。

歳を重ねて色々な気持ちがわかるようになった。
歳を重ねるごとに、もっともっと自由になりたい。
それは自動的には、あり得ないから。
その方向では、もっと僕は頑張りたい。
もっともっと、自分自身に近づきたい。


この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,917件

#私は私のここがすき

15,717件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?