さいはて回想録 / 地域の土壌改良にカルチャーを
2020年1月25日。北海道釧路市にあるコミュニティスペース「HATOBA nishikimachi」にて開催された「MEET MUSIC SAIHATE / さいはて」について、バイブスの向くままに振り返ってみたいと思う。
「さいはて」とは
さのくんが道東ではじめた神出鬼没的なパーティー、さいはて。1回目は、2019年2月に開催。上映会とDJ、ライブがゆるゆるとMIXされたGood vibesな空間だった。
2回目となった今回の「MEET MUSIC SAIHATE」では、トークセッションやDJとライブ、フード&ドリンクにクラフトビールと様々な魅力あるプレイヤーが集まり、会場の大半が釧路外からの参加者とあってホームなのにアウェイ感を感じたりと今まで見たことのない景色が広がっていた。
当日のトークセッションのレポートはコチラを是非読んでいただきたい。
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そんな「さいはて」の首謀者さのくんとの出会いは、2018年4月にHATOBAで行なったトークイベントが切っ掛けだ。
この時に生まれや環境の違うもの同士がサイファーのようにトークを展開し、熱(バイブス)を共有する楽しみ方を知った。
それからは、「人間発電所」なるトークイベントを不定期で開催するようになり、さのくんには1回目と6回目にもゲストとして参加してもらい、事あるごとにご一緒させていただいている。
特に「さいはて」についてはトークだけではなく、お互いの特別な思いを注いできた器(自分ならラップ、さのくんならVJやDJ)を披露する場でもあるので、個人的には俄然気合いが入る。
ムーブメントの匂い
トークイベント人間発電所の1回目を終えた時、頭をよぎったのは「この感じ、どこかで感じたことがある」だった。その時すぐには言語化できなかったが、それはムーブメントが起きる時に感じた感覚と似ていた。知らない者同士がどんどん繋がり、新しい何かがゼロから始まるようなワクワクする感覚。それはかつて自分が地域のクラブカルチャーから受けた初期衝動にどことなく似た感覚だった。
SNS以前と以降について、コミュニティ形成に大きな変化が起きていると思う。一言でいうとそれは「出会い方」の変化なのかも知れない。
自分が地域のクラブカルチャーに初期衝動を受けた17,18歳の頃は、連絡のやり取りはメールや電話くらいなもので、あくまで「連絡」をとるものでしか無く、SNS以前はどんな状況でも出会いが先にあったように感じる。
人との出会いを振り返ると、どこで出会うか?が重要だったと思う。当時、刺激を求めて向かった先は「タグバンガー」というヒップホップウェアを中心にセレクトしていた服屋だ。そこでつながった人たちは今でも勝手に仲間だと思っているし、そこから釧路のカルチャーの沼にハマって今に至っている。
Kick the can crewを釧路に招いた時 (写真右下が清水 (2000年頃)
SNS以降の今の時代では、出会いより情報が先のように感じる。会ったことが無くてもSNSなどで事前に相手情報をチェックしたり、本人にコンタクトが取れる時代だが、当時はTwitterのトレンドのようなものは服屋やクラブにこそあるものだった。最新の情報や夜の楽しみ方、仲間の笑える話や笑えない話。
コミュニティは、カルチャーに造詣の深い店主がいるお店から生まれていた。そうしたショップがハブとなり、知らないもの同士を結び付けてムーブメントが生まれていた。
カルチャーやコミュニティ、また「まちづくり」といったものは行政や企業が単体で生み出せるものではなく、服屋や喫茶店、美容室といった個人店から生まれていたと自分はストリート、いわゆる現場から学んだのだと思う。
あたらしい出会い方
1回目の「さいはて」でも出会い方について、フレッシュな印象を受けた。それもまたその当時のものに似ていた。
当日カウンターで受付をしていた自分は、初見の参加者が目立つ中どこから来たのか?など1人ひとりに話しかけてみた。するとそれぞれが口を揃えて話したのは、
参加者 : たぶんあの人、Twitterで繋がっている〇〇って人だと思うんですよね。
清水 : え、じゃあ繋がろうよ!
その後、もの凄いスピードで会話が生まれ、繋がった者同士でイベントを開催したりと、そこから生じたシナジーは「バイブスの衝突」と言う言葉に表されることになる。
こうしたある程度お互いの情報をすでに知っている者同士が繋がることと、知らない者同士がお店や何かしらの境遇といった少ない情報の中で繋がることの違いから、出会いやそこから生まれるコミュニティの質に違いが生まれているのでは?と思うようになった。それは「どっちが良い」とかでは無く「どちらも良い」という意味で。
今回の「さいはて」は完全に前者であり、わざわざ東京から駆けつけた人もいるくらい、ある意味尖ったイベントだったと思うが、後者はネットの普及で買い物の仕方に変化が起きたことにより、時代的に難しくなってきていると改めて思った。
それは音楽を配信で聴く事と、レコードで聴く事の違いのようなものなのかも知れない。
さのくんはヒップホップ
さのくんの一連の活動を追っているうちに「彼はヒップホップだ」と腑に落ちた瞬間があった。田舎の未来を読んだことが決定的だった。20代から地元と向き合い続け、行動することはなかなか出来るものではない。
彼は遠軽町を結果的にレペゼンしているのだと思う。人によって表現は違えどブレずに何かをやり続けること、キープオンムービングの姿勢にそれを感じざるを得ない。
それは別にヒップホップじゃなくてもいい。人によってはそれをロックと呼ぶ人やパンクと言う人もいるかも知れないが、要はただカッコいいのだ。
18歳からラップを始めて、決してストイックでは無い寄り道ばかりのスタイルで20年が経つ。ヒップホップやクラブカルチャーにはリスペクトの念しか無いが、自分がそれをそのままやり続けようとはあまり思っていない。
ただ「欲しいものが無いから、欲しいものをつくる」というスタイルは、さのくんのいうクラフトバイブスとつながるものがあると勝手に思い込んでいる。
田舎から見れば、小さい頃から都市部の情報が強制的にTVや新聞などのメディアを通じて発信される中で育ち、都会では〇〇が流行っているだとか、新しいテーマパークができたとか、田舎には無い物質的な情報ばかりが多かったがゆえに「田舎には何も無い」問題が肥大化していった点もあると思う。
そこに憧れ、そこの物差しで物事を測りたくなる事もとても分かるが、田舎と呼ばれる地域には地域の物差しや役割があって、それは都会やよその街にあるものではなく、やっぱりその街にしかないものだ。この街、この土地に足つけて生活している人たちこそ、地域の魅力だ。地域性そのものがオリジナリティだと言える。
無いのなら、この土地にしかないものをつくればいいのだ。経済が衰退していく中で地域にはカルチャーが必要なのだ。というよりいつもあるものなのに気付いてないだけかも。
究極は、一体感
主体性が無いとパーティーは生まれない。今までを振り返って思うことは、楽しませてもらおうと思うのではなく、楽しまないと楽しめないことだ。バイブスが共鳴し合い、熱がさらなる熱を生む。一人ひとりがプレイヤーとしてパーティーを盛り上げていく。
イカしたフライヤーをつくるデザイナー、地に足をつけてフライヤーを配るプレイヤー、当日だけど見逃して前売り料金で入れてくれるキャッシャー、ショットグラスの乾杯と適度な会話が気持ちいいバーカウンター、回り続けるミラーボールの照明に、地を這うような低音が腹の底に届く音響、突き抜けたステージ上のパフォーマンスやフロアで踊り続ける人たち。
それらが1つになった時を何度か経験したことがある。それは究極の一体感だ。この瞬間がずっと続けばいいのになと心底思ったことがある。
行政や企業、市民といった地域の中にも同じく役割があると思う。その多様性ある役割の一つひとつが、本当の1つになる瞬間を釧路という地域で見てみたいと思う。
バイブスのまま振り返り過ぎてしまったが、さのくんが仕掛けた「さいはて」は、最高の1つだった。今後もっと熱を帯びてより楽しくなっていくこと間違い無しだろう。
最後に、「さいはて」という1つを共有したみんなに最大の感謝を。