どう書く神戸大国語1現代文2019

2019神戸大学 現代文(随筆・約3800字)45分
【筆者】檜垣立哉(ひがき・たつや)
1964年、埼玉県生まれ。武蔵高校から東大文学部哲学科卒。同大学院人文科学研究科博士課程中退、文学部助手。埼玉大を経て阪大大学院人間科学研究科教授(生命論、応用倫理学、生命倫理学)。大陸哲学やフランス現代哲学、日本哲学(主に京都学派)に関する研究を行う。『瞬間と永遠:ジル・ドゥルーズの時間論』で阪大から博士(文学)取得。
【出典】『食べることの哲学』(世界思想社2018年)
ブタもクジラも食べるのに、イヌやネコはなぜ食べないのか? 宮澤賢治「よだかの星」など食をめぐる身近な素材を、フランス現代哲学と日本哲学のマリアージュで独創的に調理し、濃厚な味わいに仕上げたエッセイ。食の隠れた本質に迫る逸品。(紹介文より)
【解答例】
問一 a=間隔  b=普及  c=雰囲気  d=起因  e=臨床

問二「さらに業の深さを感じさせる」とあるが、どういうことか。八〇字以内で説明しなさい。
〈ポイント〉
・「人食について、おそらくわれわれはきわめて得体の知れない、まさしく心の奥底の澱のような忌避感をもっている」。
・「自分の顔をむしりとって食べさせる姿は、異様な雰囲気をかもしだす」。
・「人格性(=パーソナリティ)を決定する器官である『顔』」を「惜しげもなくちぎって相手に与えること」は、「自分に肉を食べさせる、他人の肉を食べるというカニバリズムよりも、さらに業の深さを感じさせる」。
・「顔を食べろというのは、たんなるカニバルなものではなく、相当な抵抗感をひきおこすものである」。
※「業(ごう)」とは、前世の善悪の行為によって現世で受ける報いのこと。

★人格性を決定する器官である顔をむしりとって食べさせることは、人間として忌避感を覚えるカニバリズムのなかでも相当な抵抗感をひきおこす、異様な行為であるということ。(80字)

問三「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」とあるが、どういうことか。八〇字以内で説明しなさい。
〈ポイント〉
・「アンパンマンの顔は、いささか驚くべきことに、いくらでもとり替え可能なのである」。
・「アンパンマンの顔そのものは複製可能で、何度もとり替えがきき」、「死んだりすることはない」。
・「唯一性を示す人格を顕示する」「顔」が「とり替え可能である」のは、「相当に不思議な事態である」。
・「アンパンマンの顔」は「ごく常識的な『アンパン』の(欠片の)形象をなしており」、「食べても再生産されるもの」だから、「さしたる罪悪感をもたない」。
・「アンパンマンの顔がちぎれても、そしてそれがすぱーっと飛んでいっても、そのこと自身には安心感すらある」。

★アンパンマンは個別のキャラクターであるものの、ごく常識的なアンパンの形象をなしていて複製が可能なその顔は、唯一性を示す人格を顕示しているとはいえないということ。(80字)

問四「ますますアンパンマン的状況が広まっている」とあるが、どういうことか。臓器移植の事例に即して、八〇字以内で説明しなさい。
〈ポイント〉
・「人間の肉を不用なものとして切り捨て、あるいは必要であれば再生」するのは、「いくらでも現代テクノロジーのもとで拡張可能なのである」。
・「臓器移植」は、「自分が生きながらえるために他人を身体にとりこむという意味では」、カニバリズムと「まさしく類似的行為である」。
・「これまでは死んだと認識されていないひとを死んだことにして(そしてそれを科学的合理的な方法で、まさしくしたり顔で説明して)カニバリズムを可能にした」。
・「しかしそのうち、ある種の臓器については、生体肝移植に代表される生体移植がなされるようになっている(死んでいなくてもよいのである)」。
・「誰かの(大抵は親族であるが)臓器を」、「生きるために身体にとりいれている」。

★これまでは死んだと認識されていない人を、科学的合理的な方法で死んだことにして他人の臓器を移植していたのが、現代テクノロジーの下で、生体移植にまで拡張されたこと。(80字)

問五「無限複製されるアンパンマンの顔の自己犠牲は、おそらくやなせがおもいつきもしなかった卓見を含んでいるのだろう」とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、一六〇字以内で説明しなさい。
〈ポイント〉
・「餓えのなかで」「できること」の「極北」が「自分を食べてもらうこと」というのは、「アンパンマンの作者であるやなしたかし」の「戦争従軍経験に依拠」している。
・「生体移植がなされる」ようになっていくという「方向」における『アンパンマンの未来』は、すでに、バイオテクノロジーの進展において明示されている」。
・「iPS細胞が理念的には自己生成する細胞である」というのは、「自食のカニバリズムであるとさえいえる」。
・「自己犠牲と自己を救うことの回路が完結したこの場面では、カニバリズムは一個体のなかで完結してしまうことになる」。
・「iPS細胞による自己の身体の複製化には、そこで使用される臓器がいくらでも複製可能であることにおいて、アンパンマンのいれ替わる顔という知見は、いっそうひき延ばされているのだろう」。
・「自己の身体の複製化」によって「アンパンマンのいれ替わる顔という知見」が「いっそうひき延ばされている」ことは、「おそらく、われわれの個別性、私のパーソナリティ、私の個別のいのちという事情を、しだいに消し去りつつあるのかもしれない」。

★戦争従軍経験に依拠して、餓えのなかでできることの極北は自分を食べてもらうことだとしたやなせの知見は、バイオテクノロジーの進展によって生体移植がなされ、iPS細胞による自己の身体の複製化が可能になって、自己犠牲と自己を救うことの回路が完結し、人間の個別性、人格性、個別の命という事情が消え去ることを示唆しているということ。(160字)

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