どう書く京大国語1現代文2021

2021京都大学 一 現代文(随筆・約2900字)40分 

【筆者】西谷啓治(にしたに・けいじ)
1900~1999年。石川県能登町宇出津生まれ。京大哲学科卒。京大教授、大谷大教授を経て京大名誉教授。ドイツ神秘主義などを研究したが、後半生は禅仏教に傾倒した。出生地である宇出津には西谷啓治記念館がある。高坂正顕、高山岩男、鈴木成高とともに「京都学派四天王」と呼ばれている。「京都学派」とは、西田幾多郎と田邊元に師事した哲学者たちの形成した哲学の学派。

【出典】「忘れ得ぬ言葉」(1960年)

【解答例】
問一「それが私には『忘れ得ぬ言葉』になってしまった」について、なぜ「忘れ得ぬ言葉」となったのか、説明せよ。(3行=90~120字)
〈ポイント〉
・「それ」は、山崎深造が軽く笑いながら言った「君も随分おぼっちゃんだなア」という言葉を指す。
・入院させられた「私」に、山崎は「万事世話をしてくれた」。
・退院し、医師のすすめで郷里で保養することにした「私」は、山崎の下宿での部屋で、「郷里の海や景色の美しさ、軽いボートを操って釣りをしたり泳いだりして遊ぶ楽しさのことなどを、はずんだ気持で、調子づいて話していた」。
・「からかい半分の軽い気持で言ったに違いない」山崎の「その一言は何かハッとさせるものをもっていた」。
・「自分の心が自分自身のことで一杯になっていて、彼の友情、彼が私のために払ってくれた犠牲、についての思い」が「少しも影を落としていないことに気付かされた」。
・「それまでの自分の心の持ち方というものが、鏡にうつし出されたかのような感じであった」。
・「それまで気が付かなかった自分の姿に気が付いたというような気持であった」。
・「彼の眼には、散々厄介をかけながら好い気持ちでしゃべっていたわたしが、罪のない無邪気なおぼっちゃんと映ったに違いない」。

★入院した自分の世話をしてくれた山崎に、退院後の郷里での保養生活の楽しさを、はずんだ気持ちで調子づいて話していたが、からかい半分の山崎の一言で、自分がいかに罪のない無邪気なおぼっちゃんであったかに気づいたから。(104字)

問二「私の眼には、その自分の『罪のない』ことがそれ自身罪であることと映って来た」はどういうことか、説明せよ。(3行=90~120字)
〈ポイント〉
・「兄貴株」の山崎は「既におとなであった」。
・山崎の「君も随分おぼっちゃんだなア」という一言によって、「罪のない無邪気なおぼっちゃん」であること自身が「罪である」と気づき、「目が開かれたような衝撃」を受けた。
・「私はそれ以来自分がおとなの段階、乃至はおとなに近い段階に押し上げられたと思っている」。

★心が自身のことで一杯になっていて、他者が自分のために払ってくれた犠牲に考えも及ばなかったことを反省し、無邪気さは未熟さの裏返しであって、決してほめられたものではないと考えられるようになったこと。(97字)

問三「今度は、自分が、以前に言われたこととは全く別の意味において『世間知らず』であったことを知った」はどういうことか、説明せよ。(3行=90~120字)
〈ポイント〉
・「高等学校の頃など、時たま友人達から『世間知らず』とか『おぼっちゃん』とか言われたことがある」。
・「兄弟姉妹というものをもたない独り子として育ったので、そういうところが実際あったのかも知れない」。
・「しかしそういう場合いくら『世間知らず』といわれても、殆ど痛痒を感じなかった」。
・「人生絶望の稜線上を歩いているような状態で、批評した友人達よりはずっと『世間』の何たるかを知っているという気持だった」。
・「山崎の友情が私に実感となることによって、私は彼という『人間』の存在に本当の意味で実在的に触れることが出来、そして彼という『人間』の実在に触れることにおいて、本当の意味の『世間』に実在的に触れることが出来た」。
・「仏教でよく『縁』と言うのは、今いったような意味での人間とのつながり、又あらゆるものとのつながりのことではないであろうか」。
・「『人間』に触れ、『世間』に触れたことが、絶望的な気持のなかにいた当時の私には、何か奥知れぬ所から一筋の光が射して来て、生きる力を与えてくれるかのようであった」。

★絶望的な気持ちのなかにいた当時は、「世間知らず」と批評されても自分は世間を知っていると思って痛痒を感じなかったが、山崎に「おぼっちゃん」と言われてその友情を実感し、自分は他の人間の実在に触れることができていなかったと悟ったこと。(114字)

問四「言葉が生き身の人間の口から自分に語られた場合は、全く別である」のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(4行=120~160字)
〈ポイント〉
・「言葉の本源は、生き身の人間がそれを語るというところにある」。
・「忘れ得ぬ言葉ということは、他人が自分のうちへ入って来て定着し、自分の一部になること」である。
・「書物から来た言葉の場合には、どんなに深く自分を動かしたものでも、それが繰り返し想起され反芻されているうちに、初めそれが帯びていた筆者のマークがだんだん薄れてくる」。
・「言葉の抽象的な意味内容だけが自分のうちに定着して、血肉に同化したかのように自分のうちへ紛れ込んでしまう」。
・「人間の口から」発せられた言葉は、「それを発した人間と一体となって自分のうちへ入ってくる」。
・「独立した他の人間がその人間としての実在性をもって自分のうちに定着し、自分とつながりながら自分の一部になる」。

★書物から来た言葉が繰り返し想起され反芻されているうちに、その抽象的な意味内容だけが自分のうちに定着して紛れてしまうのと異なり、言葉を発した他の人間とその言葉が一体となって自分のうちへ入ってきて、その人間が実在性をもって定着し、自分とつながりながら自分の一部になるから。(134字)

問五「本当の人間関係」について、「生きているとか死んでいるとかという区別を越えた」のように言われるのはなぜか、説明せよ。(4行=120~160字)
〈ポイント〉
・「彼の言葉は自分のうちで血肉の域を越えて骨身に響くものになってくる。それが忘れ得ぬ言葉ということである」。
・「その言葉が想起されるたびに、言葉は語った人間の『顔』、肉身の彼自身、を伴って現われてくる」。
・「その言葉を反芻するたびに、我々は我々の内部でその彼の存在の内部へ深く探り入り、彼を解読することになる」。
・「それによって彼はますます実在性をもってもくるし、同時にまたますます我々自身の一部にもなってくる。つまり、言葉は人間関係の隠れた不可思議さを現わしてくる」。
・山崎と山崎の言葉を思い出す毎に、「彼はますます私に近付いてくるようでもあるし、私がますます彼のなかへ、もはや何も答えない彼という『人間』の奥へ、入って行って、彼を解読している」ようでもあり、山崎のことが「現実よりも一層実在的に感ぜられるのである」。
・「明日にも忘れられる『現実』よりも、何十年たってもますます実感を増すものの方が一層実在的ではないだろうか」。
・「本当の人間関係はそういう不思議な『縁』という性質があり、人間とはそういうものではないだろうか」。

★山崎の言葉を反芻するたびに、血肉の域を越えてその言葉が骨身に響くものになってくるとともに、自分の内部で彼の存在の内部へ深く探り入り、彼を解読することによって彼は実在性をもち、時間を越えていっそう実感を増すという人間関係の隠れた不可思議さを現してくるから。(127字)

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