見出し画像

受け継がれるは地域に愛される建築

活気があり、長い月日を経ても壊されずに後世に受け継がれていく建築というのは、街や地域の人に愛され、誇りとなり、思い出や記憶とともに一緒に育っていく建築です。

どんなにお金をかけても、どんなに良いデザインの建築を作っても、人々の記憶と共になければ、その建物は壊されて1、2世代の内に消えていきます。

では、どうしたら人々に愛され誇りとなる建築を作っていけるのか。

まず基本にあるのは、施主、施工者、設計者が平等に一丸となって同じ志を持っていないと良い建築はできません。建築に限らずだと思いますが、お金を出す人の意見が最優先だと考えているプロジェクトは、良い仕事も良い結果も生まないのは自明のことです。皆が平等に創造力を働かし、アイデアを出し合える環境が必要です。

その上で、街や地域、環境などの特性を観察し、そこから浮かぶイメージや感覚を抽象的でも良いから常に持ち続けてプロジェクトを進めていくことだと思います。私自身、多くの地を旅して、目的の建築に辿り着くまでに、否応なしにその街や土地の雰囲気や人柄みたいなものを大雑把にも感じます。そして、目的の建築に辿り着き、一通りその空間や場所を体感し終わる頃には、大雑把に感じていた感覚が、私の身体の中でひとつの確かな感覚となって浮かび上がってきます。こういう建築は大抵、地域に根付いており、人々に愛されながら使われ続けていることがほとんどです。逆にその場所と建築に不一致の感覚がある時には、その建物は独りだけ浮いているか、あるいは、廃墟も同然と化しています。

建物の意匠が周囲に与える影響は大きいと思います。建物を使わない人たちでも、必ず視界に入ってくるのがその意匠です。建物の意匠は必ず周囲の環境に即したデザインでなければなりません。これは、単に周りの建物のデザインに合わせなさいとか、自然環境の中ではできるだけ目立たない色や形にしなさいとか、そういった話ではありません。周囲の環境に即した意匠というのは表層的なものではなく、その場所や空気感、環境などが発する音色を丁寧に聞き取り、それに調和させて響かせることができる建築です。しかし、その音色は簡単には聞き取ることはできません。何度も何度も感覚を研ぎ澄まして聞き続けなければなりません。

解体されてしまった祖母の家隣の建物

まだ独立したばかりで実作がほとんどないのに、偉そうなことを言っているようですが、その場所や空間からある種の音色や響きが聞こえてくるのは確かな感覚としてあります。世界的に活躍する建築家たちもそれを示してくれています。特に、ユハ・レイヴィスカの言葉は的を得ていたので引用します。

建築は視覚芸術より音楽に近い。建築や建物をその内部の空間やディテールとともに特質化するとは、環境の有機的一部となさしめること、その大きなドラマ、運動や空間的な連続の一部となさしめることである。私にとっては建物がそこにそれとして建つこと、「建築の一つとして」建つことは無意味である。建築や建物が建つことの意味は、ひとえにその周囲や生活や光との対位旋律的な在り方を通してのみ発生する。 
ユハ・レイヴィスカ『A+U』1995年4月号13頁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?