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祖母の声

しばらく会っていなかった父方の祖母が亡くなった。葬儀前に一度、遺体を祖母の自宅に戻すとのことで、会いに行った。

遺体は6畳の和室の中央に置かれていた。祖母の亡骸と対面した私は、なぜかその顔から目が離せなかった。口が半開きで、歯はほとんどなくなっていたが、特に目立った外傷はない。

聞くところによると、衰弱死のようなものだったようだ。生前、すでに食べ物を飲み込む力がなく、声を発することや歩くこともほぼできなくなっていた。死因は痰が絡んだことによる窒息死らしいが、苦しんだ形跡はなかった。そのせいか、「綺麗な顔で亡くなってますね、肌がつやつやしている」と、皆が口々に言った。私にはよくわからなかった。


6年ほど前に、長年連れ添った祖母の夫、私にとっての祖父が他界した。心臓発作だったが、祖母が発見したタイミングがもう少し早ければ生き長らえたかもしれず、祖母は「死んでしまったのは私のせいだ」と、そのことを悔やんでいた。遺骨になっても「離れたくない」と、埋葬することなく自宅で保管し続けていた。

いま思えば、他人に対して情け深い人だったのかもしれない。祖母の声をなぜかよく覚えている。具体的な場面はほとんど覚えていない。声だけである。久しぶりの帰郷を出迎えてくれるときの声と、厳しく叱るときの声だ。叱るときは祖父同様に厳しく叱る人だった。


祖父の葬儀以来、私は祖母とは会わなかった。一度だけ電話をした記憶はあるが、内容や時期は思い出せない。祖母の様子もほとんど聞かなかったので、最期の数年間をどんな風に過ごしていたのかはわからない。

葬儀は家族葬となるらしく、一連の様子を見た限りでは、おそらく親族以外の人付き合いはなかったのだろう。部屋の様子から、何か趣味らしきものがあるような痕跡もなかった。



もっと祖母に会いに行けば良かった、と後悔と懺悔の念を感じた。祖母から目が離せなかったのはそれも一つの理由かもしれない。言葉の通じない相手に、目で謝罪をしているつもりだったのかもしれない。
一方で、冷たくなった死体そのものにも少しの興味があった(それ自体が悪いことだとは思わない、むしろそんな非情な感覚に無自覚である人が嫌いだ)。当然の帰結として、どうにもならないいたたまれなさを感じていた。その肌に触れることは許されないことのように思えた。ただ見つめることしかできなかった。かといって、早々にその場から立ち去って、妹の幼い娘と他愛もないやり取りをする気にもなれなかった。

いま時間が巻き戻れば、果たして私は祖母に会いに行くだろうか。



もう一つ。思い至った背景は割愛するが、
やはり、社会には様々な格差があるのではないか、と感じざるを得なかった。遺伝、社会階層、偶然に所属する共同体、その中で過ごす一瞬一瞬が心や価値観に影響する。その一部始終を自己俯瞰する能力や機会にも差がある。
運命なのだ、と思えれば、どれほど心が軽くなるだろうか。
1億総実力社会。正しい秩序の出現。それは即ち、1億総無責任社会の誕生を意味するのかもしれない。自己責任論を他人に差し向けることは、とても暴力的で帝国主義的な振る舞いであると感じる。


改めて、自分にどんなことができるのか。社会の中で、どんな風に強く優しくなれるのかが問われている。もしかしたら祖母は最後に、私の弱さを見兼ねて、そんなメッセージをくれたのかもしれなかった。

明日は葬儀だ。心からの感謝を贈りたい。

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