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バカにされる教員。それが気持ちいい教員。

それでいいのか教員!と私は言いたい。

私は日本の公教育は素晴らしいと思っています。

あれだけのレベルを保っていることに、教員には敬服しています。


しかし、なんだろう。

どこからも軽んじられている気がしてならない。


実際私も教員をするまではどこかバカにしていたし、
教員を辞めた後も尊敬はするがあの場に戻りたいとは思わない。


教員は社会を知らない。新聞も読まないし、一般常識がない。

感覚も鈍く、緩やかな教育界で生きている。

日々の業務は多忙かもしれないが、負担する業務の変化が少ない業種ではある。

アホみたいに残業して、それを苦に思わない鈍感さも持ち合わせている。

教育が専門のはずなのに、心理カウンセリング的な能力は皆無で、宿題を出す子は「いい子」、それ以外は「ダメなやつ」というレッテル貼り。

教室という限られた空間の中で、生徒30名に対し、大人は1人という異様な空間で、宗教団体にも似た環境。

モンスターなんとかの対応に追われながらも、大好きな部活動に土日を費やす変態。

そんな教員によって、日本の公教育は保たれている。


しかし、それでいいのか?

戦後の教室と、現在の教室の様子は全く変わっていない。

以下戦後の教室

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何も…かわっちゃいねー。笑

以前ある有名な校長先生がこんなことおっしゃっていました。


教育の進歩の停滞は「悪意と怠惰」ではなく、
「努力と善意」


そうなんです。
悪意をもってサボっている人など皆無なのに、なぜか停滞する。

それは手間暇かけて作られた教材にこそ価値があり(教育効果度外視)、それを後輩に引き継がせる伝統にこそ価値がある。(時代錯誤も甚だしい)

ICTは進まず、受け入れられ難く、導入にはあらゆるコストを掲げられ、導入されない。

そんな教育界は明らかに常に時代のど真ん中にいて、決して動くことのない、不変の存在。


よくも悪くも不変の存在なのです。

周りから何を言われようが、バカにされようが、教員は絶対的に教員なのです。


どんな教育をしていようが、教員という免許を持っていれば若造も「先生」なんです。


バカにされる教員。

それでも教員様だから気にしない教員。

なんと不思議な社会なんだろう。

思いが強いだけに、何日も考えた結果、着地点を見失いました。笑


ごめんなさい。

後日ちゃんと書きます。


地方にこそ新しい教育を! 地方でも教育を選べる時代へ。 を目指してプログラミング教育、スポーツ教育に携わっています。 ご支援は子供達の教材費に充てたいと思います。