子どもたちが支えてくれて今がある
もうずいぶん前のことですが、都会で暮らしていた息子たちの存在に支えられていた時期がありました。
どちらかというと、友だちは多い方だと思っていました。
40代、50代と、年齢を重ねるごとに新たな友だちも増えていきました。
仲のいい職場の同僚とも、よく飲みに行ったり、一緒に山登りをしたり、非番日を楽しんでいました。
そんな頃に妻がうつになりました。
実家の両親には心配をかけたくないので、
「調子が悪から」
とだけ説明し、盆も正月も、彼岸にも、実家にはいつも私ひとりで行くようになりました。
職場の同僚にも、妻の病気のことは話しませんでした。
隠そうという気持ちはなかったんですが、話しても理解できないだろと思っていました。
夫として、妻を助けることができない現実に、心を痛めているときに、妻の苦しそうなため息を耳にすると、自分が責められているような気持ちになりました。
妻の症状も波があり、ときには私自身が息苦しくて、誰かに心のうちを話したいという強い欲求が生まれることがありました。
そんなときに、2人の息子に、当時はガラケーでしたが、ショートメールを送りました。
「お母さんの調子がとても悪いんだわ。お父さん、どうしていいのかわからなくて」
などと、息子たちも答えようがないことを送っていました。
大阪に行って息子と居酒屋で飲むときには、息子の近況を聞いたあとで、最近の妻のことを話しました。
息子たちは、学校のことや、就職のことなど、自分のことでいっぱいいっぱいだったのかもしれませんが、それでも心配しながら話を聞いてくれました。
当時のことを記事に書いていますが、
子どもたちは子どもたちで、心を痛めていたようです。
それでも、息子たちと一緒に妻を支えていこうと思えるだけで、とても気持ちが楽になり、前向きに考えられるようになりました。
回復しかけたかと思えば、また悪くなるということをくり返していました。
ずいぶんよくなって、一緒に出かけることも多くなり、ほっとしかけたときに、家に帰ってこないことがありました。
胸騒ぎがして、都会から帰って同居していた長男と一緒に妻を探したことがありました。何度メールしても返信はなく、2人別々に心当たりを車で走りまわって探しました。
ようやく帰宅してくれてほっとしていたとき、探していた長男も帰ってきました。
暗い表情の妻に、長男がいいました。
「今まで心配ばかりかけたんで、これから恩返しをしようと思っているんだから、元気で長生きしてくれよ」
その言葉に、私も妻も救われた思いがしました。
その後、長男は結婚し、私たちの孫も誕生しました。
それでもときおり心配をかけるので、
「いつになったら心配かけなくなって、恩返ししてくれるのかな」
と笑いながら話しています。
反抗期の頃は、我が家の壁にたくさんのブラックホールをつくった息子たちに、支えられていました。子育て時代の悩みや苦労もすべて意味があったんだなあ、と夫婦でよく話しています。
妻は、「心の病気を経験してよかったとは絶対に思えないけど、たくさん学んだことがあった」と話しています。
子ども達の親に対する思いなど、今まで気づかなかったことに気づけるようになったのも、そのひとつかもしれません。
もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!