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ガッツ石松に相談した後輩 辰吉と戦った男

仕事を辞める決断をすることは、誰にとっても容易なことではありません。
私が消防局を早期退職する決断をするのにも、数年悩みました。

田舎で生活しているので、都会でも難しい転職は、こちらではさらに困難を極めます。
そんな状況で公務員という安定した職業を捨てることは、こちらの住民に言わせると
「アホやのぉ」
ということになります。

それでも人それぞれいろんな理由で退職願望が芽生えます。

私が脱サラを目論んでいた頃に、同じように悩んでいた後輩がいました。
若き日にプロボクサーを目指したものの挫折し、その後プロのトレーナーの資格をとり、非番の日には地元のボクシングジムで熱心に指導していました。
自ら「辰吉丈一郎と戦った男」と名乗っていました。

プロボクサーも何人か育て、大手のジムに送り出した実績もあります。

彼ほどの実績はありませんでしたが、私も在職中からライブ活動をラジオやテレビ、新聞で取り上げられるようになり、エリアは狭いながらいくつかのメディアでレギュラーを持っていました。

当然ながら職場の上司からは、我々ふたりは大いに顰蹙を買いました。
表立って非難されたわけではありませんが、何かにつけ居心地の悪さを感じていました。


私たちは、非番の日に飲んでは、自分たちの夢について熱く語りあっていました。

「Y君、俺はぜったいに全国にメッセージを届けるぞ!」

「たつゆきさん、俺もやりますよ! いつか自分のジムを立ち上げて、チャンピオンを育てますよ!」

毎回、二日酔いになるほどの回数、ジョッキをかちあわせました。


彼は、消防士になる前は、大阪でバイトをしながらボクシングをやっていました。
ボクシングの経験がまったくないまま入門したとき、メジャーなジムなので、新人が山ほどいたそうです。
辰吉は少しだけ彼の後輩だったそうで、「Yさん」とさん付けで呼ばれていたそうです。

ある日、
「誰か辰吉のスパーリングの相手してやってくれへんか。誰か経験者はいてへんか?」
とトレーナーにいわれ、即座に手を挙げたのが彼でした。
勿論、それはハッタリであって経験などまったくありません。

リングに上がり数秒後に、彼はマットに沈んでいたそうです。
まったく手を出す間もなく、辰吉の一発のパンチでダウンしてしまったのですが、その後、彼が自己紹介をするときには、そのあたりの経緯には触れず、
「辰吉と戦った男」
という短いフレーズのみでした。

そのスパーリングのあと、「Yさん」と呼んでいた辰吉は、いつしか「Y君」と君付けで呼ぶようになったそうです。

「男は多くは語らない。ただ、辰吉が今日あるのも、あの日の自分との凄絶な戦いがあったからだ」
というようなことを、もっと単純で平明な言葉で語っていました。


話は戻りますが、そんなふうにたまに、ふだんは話せない心の中を吐き出しあうだけで、気持ちは楽になりました。

私自身のその後の脱サラについては下記のマガジンに集めておりますので、それは省略して、その後輩について書きます。


彼としても、幼い子どもがいるので、なかなか脱サラに踏み切れなかったのでしょう。


相当前の話ですが、そんな彼が『週間漫画』という雑誌に連載されていた「ガッツ石松のお助けパンチ」という人生相談コーナーに投書し、掲載されたことがありました。

見開き2ページというスペースの中で、Y君の相談とガッツ石松のそれに対する答えは4分の3ほども与えられていました。

「フリーターをやりながらプロボクサーを目指し、ずっと頑張ってきましたが、年齢ももうすぐ30です。今後のことを考えると不安もあります。プロの道は諦めて定職につくべきでしょうか?」

というような質問に、ガッツ氏は他の相談者に対する答えと比較にならない異常なくらいの懇切丁寧で愛情深く答えていました。

「トレイナーとしての生き方もある。もしなんなら自分を訪ねてこい」
とまで言ってくれて、
「プロボクサーとしてチャンピオンになれなくても、人生のチャンピオンを目指して生きるのだ」
というような意味合いのことも語っていました。

安定した定職についているくせに「フリーター」と偽って葉書を出した男に、愛情深く答えるガッツ氏の人間性に称賛の拍手を送りたい気持ちになりました。

一方、Y君は、ガッツ氏の色紙やガッツグッズをもらって喜んでいました。

蛇足ながら、その後しばらく、「お助けパーンチッ!」といいながら同僚からパンチをくり出される日常を送っていました。


あれから彼と会うこともなく、ずいぶん月日が流れました。
たまに我が家を訪れるかつての後輩から、彼が辞めずに勤務していることや、定年まで辞める気配がないということを聞きました。

人は、それぞれ考え方があり、生き方があります。
時は人を変えます。
それでも彼の中のボクシングに対する愛情は枯れてはいないと信じ続けならが、私は愛する自分の仕事に没頭しています。

もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!