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マネジメントって何だろう その③「育成と習熟」

前回のマネジメントの記事の続きを書きたいと思います。
ヌーラボのTATSURUです。

前回の記事はチームビルディングの途中まで書きました。
ご興味がある方はこちらも宜しくお願いします。

前回の記事
前々回の記事

マネジメントの要素をテーマ別に深堀していければと考えています。
今回は、チームビルディングの続きで育成と習熟について書きたいと思います。



育成と習熟の違い

わざわざ育成と習熟を分けて記載しているのには理由があります。この2つは似て非なるものですが、混ぜてしまっている事が見受けられます。

ここでの育成とは、できない事をできるようにする事を主として定義しておきます。習熟はできる事をよりレベルアップさせる事を主として定義したいと思います。

できない事をできるようにするのは簡単ではありません。育成は広義には、習熟を含むように使われる事があるのですが、明確に分けた方がいいと個人的には思います。

なぜなら、必ずしも誰もが「できない事ができるように」はならない可能性があるからです。

人には向き・不向きがありますし、前提条件としての知識や経験というものが必要なスキルが存在します。

マネジメントは複合的なスキルなので、前提条件となるものが不足しているとできるようにはなりません。

形上は真似することはでても、身についていない人ができない事をやろうとすれば失敗するだけですし、失敗から学ぶ事もできるかもしれませんが、スキルの身に着け方としては遠回りかもしれません。

また、習熟は「できる事をよりレベルアップさせる」事なので、そもそもできる状態からスタートしている時点で大きく違います。

習熟は、古典的には繰り返し同じ事をやる事でレベルアップが測れますし、実践により磨く事も可能ですので、やってみてより良い方法を模索してレベルアップする事は近道かもしれません。

このように、育成と習熟は似ているが違うものなので、チームに足りないものは育成する必要があるのか、習熟する必要があるのか見極めが大事だと考えています。

育成の難しさ

育成は、非常に難しいテーマです。広義にはその人をどう教育しキャリアを形成するかという話にもなりますし、狭義には何ができるようになる必要があるのかという事になります。

教育となると、対象者の事が良く分かっていないといけませんし、何をどこまで教えなければならないのかという意味では、これまでの学習状況を詳しく把握しなければ、成果を出すのは難しいでしょう。

何かピンポイントでできるようになって欲しい場合は、そこに絞る事ができるので、マネジメントにおいては必要性を熟慮した上で、狭義の育成を行うのが精いっぱいではないでしょうか。

もし、大きく構えて広義の育成(教育)するとした場合、本人にその気がなければ不可能ですし、時代的にはそぐわなくなってきていると思います。少し脱線しますが、教育が難しい理由を説明します。

インターネット以前の教育

具体的にいつからいつまでと定義し難いのですが、インターネット以前と以後とで教育は大きく変わったのではないかと思います。

インターネット以前は、根性の時代だったのではないかと思います。教えを乞うには、その機会を得るためにも努力が必要で、機会を得たら必死に学ばなければついていくのも大変な時代でした。

若い人にはピンとこないかもしれませんが、ChatGPTもGoogleも無い時代は、解らない事を調べる方法が限られており、情報は紙の本かそれを知っている人に依存しており、本当に知りたい事にたどり着くには大量に本を読むか、知っている人を探して聞くしかないのです。

私はこれを根性の時代だと定義しています。現代なら、検索すれば知りたい事に辿りつくと思いますし、複数の情報から真実に近い情報を見極める事もある程度できると思います。

紙の本の時代は、とにかく時間をかけて本を読む。人の話を聞く、教えを乞う。新聞やテレビがものすごく影響力を持っていったのもそういった時代であり、何をするにも今に比べれば数倍から数十倍時間も手間もかかる時代でしたので、根性が必要だったのだと個人的には思います。

なので、若い人は信じられないかもしれませんが、根性の時代は新入社員を研修施設に数日・数週間入れて様々な過酷なトレーニングを行って根性を鍛えるという事をやっていました。今考えるとパワハラ・モラハラのオンパレードですが、そういう時代だったのです。

そういう時代だったですまない部分もありますが、大事な事も少しあります。なぜ、根性を鍛えるのかというと、そうしないと生き残れない時代だったからです。生き残るために必要な前提条件が根性だったのです。今でも根性が必要な場面は多くあります。

まだ様々な法整備が不足しており、不正も差別も多くあった時代でしたので、理不尽な事があってもくじけず立ち向かう根性が支えとなる時代だったのだと思います。(半沢直樹をイメージしてください)

インターネット後の教育

インターネットが出てきて世界は一変しました。根性よりも知性が重要になってきたのではないかと思います。情報が一気にあふれ出してきたため、情報を活用できる事が大事になってきました。

正確には根性の種類が変わってきたのではないかと思います。より「知性的な根性」が大事になってきています。今は、過酷な状況に耐える根性ではなく、過酷でなくする根性が必要なのです。

情報の氾濫は、社会の変化を早くしました。そんな時代を生き抜くには、変化にいかに対応することができるかが重要になってきます。ですがそもそも変化に気づく事ができるかが難しく、気づいていない人に変化を感じさせる事も非常に難しいのです。

インターネット後の世界においては、この激しい変化の中で、教育カリキュラムを作って統一的に教えていく仕組みは機能しにくくなっています。多くの事が変化していく中で、教えた事が陳腐化するのも非常に速いからです。

根性の時代は変化が遅く、とりあえず根性があればなんとかなる時代だったとかなり乱暴に書いてしまいますが、変化が遅いため最初にしっかり教育することの重要性が高かったのだと思います。

今は、アンラーンが必要な時代ですので、古くなって通用しない方程式は捨てる必要もあり、教わった答えも間違ってしまっている時代ですので、答えを教えるのではなく、答えにたどり着くための学び方を教える時代になったのではないかと思います。

AI時代の育成

インターネットの登場からさらに進化してAIの時代になってきました。ChatGPTをはじめとするAIの進化は目覚ましいものがあります。

私自身もChatGPTを使いますが、有効に使えているかというとまだ確信はありませんし、これをどのように育成に活用すべきかは継続的な課題となります。

1つは、ChatGPTはよき相談相手ではあると思います。自分のアイデアが可能性があるのか、自分の認識が合っているか、一般論としてどうなのかをさっと知りたいときには役立つように思います。

実際、教育の現場でも使われ始めていますし、これを制限するのは愚かな行為のようにも思います。ただし、AIも万能ではありませんので、嘘もつきますしインプットが悪ければ間違いもします。

もっと言うと、ベースのデータによって情報が古かったり、ポリティカルな理由で偏りも発生する可能性もあるため、あくまで参考とすべきだったり、作業の効率化、時短のツールとして有効活用すべきなのかと思います。

GPTsの登場でその問題も解消される可能性はありますが、まだこれが成功するのかは解りません。

AI時代において大事なことは、インターネットの登場以上に脱根性が進んだという事です。より、情報を見極める知性が重要になってきています。

ChatGPTを活用した開発をプロンプトエンジニアリングと呼びますが、今後はこの分野の知識も必要になってくると思われます。

そうなると、国語や英語の言語能力は非常に重要になってくると思いますので、大人になってからも国語や英語の勉強はかかせなくなるのかもしれませんし、言語という意味ではプログラミング言語も重要性が増してきます。

これらの能力は今後、AIと仕事をするための必須の知識になるのかもしれません。プログラミング言語は書くためというよりもAIの成果物を理解するために必要になる可能性がおおいにあります。

チームビルディングにおける育成

本筋に戻します。上記の内容でいかに教育は難しい時代になってきたかという事を踏まえ、チームビルディングにおける育成は特定のスキルについて「できない事をできるようにする」という事に話をフォーカスします。

これは意識的に、「できるようにならないといけない事」を実践する機会を創出するという事です。何ごとも、とにかく早くやってみるという事が重要で、失敗しても問題のない状況やしくみを作っておくことです。

情報は大量にありますので、知識として知る事のハードルは非常に低く、今は早くやったことがある人が成功に早く近づく時代です。そして早く失敗して、失敗から学べる人が必要なのです。

そうなると、それを体験させる事が重要ですので、教えたい事があるならまずはやらせる事が重要になってきます。

このとき、注意が必要なのは失敗しても良い状況やしくみを作るという点ですが、具体的には最初に失敗の定義と撤退基準を設けるという事になります。何に取り組んでもらうかの粒度にもよりますが、想定される失敗の条件ごとにどうするのか最初に決めて取り組んでもらうのが良いと考えています。

例:AI機能を実装する
 想定される失敗1:思っていたよりも時間がかかる
  → 予定期間の20%までの超過はOKだが、それ以上はNG
 想定される失敗2:思ったような効果が出ない
  → 効果測定し想定効果の50%未満の場合はNG
 想定される失敗3:コストの超過
  → 予定予算の30%までの超過はOKだが、それ以上はNG

NGとなった場合、なぜそうなったのかの分析とレポートが成果であり、次に成功するためのノウハウになるので、会社としてはどう転んでも得るものは大きいというラインで投資規模を判断すればよいかと思います。

仮にこれがもっと粒度の小さい事でも考え方は一緒で、何か新しいスキルを身に着けるにしても、どこまでの超過を許容するか、ダメならダメで次の事を考えておくべきで、これが失敗したらプロジェクトが終わる・傾くといったことを育成最中に考えなくてよいプロジェクトを用意すると良いのではないでしょうか。

そういった社運をかけたプロジェクトは仕上がったプロ集団でやるべきかと思います。(そもそも社運をかけてはいけませんが)

チームビルディングにおける習熟

ようやく習熟に関しての内容になります。長くてすみません。個人的にはAIやロボットにより代替できることは習熟が不要になりつつあるとともに、AIやロボットには代替できない分野に限ってはより習熟が重要になってくると考えています。

できる事のレベルアップとは、品質の向上・生産性の向上に他なりません。繰り返し行う事で習熟度は上がりますし、単純な繰り返しだけでは得られないレベルアップを様々な基準を設けてクリアする事で高いレベルの品質や生産性を得る事ができるのではないでしょうか。

ここに再現性を加える事で、誰もがしっかり習熟することで高品質な仕事を、高い生産性で行える状態を目指す事が、ビジネスにおける最も重要な事ではないかと考えています。

品質と生産性の向上はどの会社でも重要課題として上がりますが、そもそもできない事をできるようにするのは、上記の通り失敗を前提に撤退基準を決めて取り組むべき事であり習熟以前の問題です。

できない事をできるようにしつつ品質や生産性を上げるというのは難易度が非常に高いので、品質や生産性を上げるには今何がどこまでできていて、それは習熟によりレベルアップ可能なのか見極めなければなりません。

チームにおいて、何を習熟しレベルアップすることができるのか、これを見極めて意識的に行う事ができれば、そのチームはその業務のスペシャリスト集団となるのではないでしょうか。

まとめ

育成と習熟の話だけでずいぶんと長くなってしまいましたが、現代においては変化が激しいため、習熟させるという事も非常に難しい時代になってきています。習熟にもAIの活用はきっと必要になってくる事でしょう。

AIを活用し、AIにはまだできない分野で先進的な習熟の仕組みを作る事が次の時代におけるビジネスの種として、重要な要素なのかもしれません。

そのため、育成においては学べる環境、挑戦しやすい環境を作る事、そして失敗を許容できる仕組みを作る事、コケてもタダでは起きない知性的な根性の醸成。

そこで得たノウハウやスキルは習熟により品質と生産性を向上させ、再現性を確保することによりビジネスを最大化する仕組みのスピーディな構築。

そして古くなって通用しなくなったら、アンラーンにより古い部分を捨てて新しい事を学ぶというサイクルが生まれるのです。これが「知性的な根性」が重要な時代と表現した理由です。

ではまた。


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