見出し画像

自由解釈と豊かさを実現する為に

毎朝起きたらすぐお湯を沸かしてカルダモンティーを淹れている私です。11月末に小学校で図工の時間をお借りして2クラスに鑑賞のワークショップを開催することが決定し着々とどうするか考えています。

今回は自由解釈と豊かさに関して考えていきたいと思っています。朝方私のnoteを見てくださった方からメッセージをいただき自己紹介する際になんだか一歩自己理解が進んだ気がしたのでここぞとばかりに書いてしまおうというわけです。

まず、私は芸術にかかわらず自由解釈が人生を豊かにすると考えています。非常に抽象的な言葉の羅列ですので伝わりづらいかと思います。

具体的には、常識や周りの目や雰囲気に左右されない自分の世界を対象と向き合った時に展開できることこれが自由解釈と定義させていただいています。では、なぜこれによって豊かさにつながるかという話ですが、(ここからまだ詰め切れてないですが一応わかる範囲で)

豊かさとは、経済的や文化的枠組みに囚われず個人が自己を承認・納得・共感してあげれる経験であり感覚を持つことであると考えています。

簡単にいうと、本当の豊かさは自分自身が本当に豊かだと思えた時に訪れるギフト的なものです。綺麗だと思う心が綺麗。○○が下ネタに聞こえたらその人がエロいなど思い表現されるものはそれ自体が自己を表していると思っています。

では、なぜ芸術に関心があるのかと言いますと、芸術作品は非常に綺麗な大きい鏡な訳です。学校の踊り場や高級ブティックにある等身大以上の鏡を想像してください。芸術はその鏡自体なのです。

そして私たちはその鏡を観ることで自分という存在を認識することができ、はたまたその背後・周辺を取り巻く環境までも見えてしまうわけです。でも、見えるだけではそれきりです。化粧をする為、紙をセットする為に私たちは鏡を日常的に使用しますが、あまり記憶していないかと思います。

そこで大切なのが、そこに写っているものがなんなのかと考えてみることです。やっていることは鏡を始めてみた子どもや動物と同じことなのですが、私たちは綺麗と思う心が綺麗であるのその先になぜ綺麗と思えたのかを考えることができます。それが自己を見つめ直すことなのです。

それこそ、なんだって私たちを写す鏡になり得ます。しかし、芸術と個人のような究極的には同一自己が一対一で対話できる場所というのは他にはないのではないでしょうか。粗悪な鏡が写した姿から良さを見つけることはできません。コンプレックスは大きく歪み現れ、良いところは小さく歪み見えなくなってしまいます。

それこそ、意識的に鏡に写るのは大きな鏡や美しい装飾がついた鏡なのではないでしょうか。それが絵画であったり音楽であったり、自然や普遍的真理な訳です。

最終的には、私という存在を一番美しく写してくれる鏡に出会うことと、それを大切にすることそれこそが豊かさなのではないかと思います。

だから私は、芸術を用いた自己解釈の場を創造し、人生を豊かにするきっかけづくりを行いたいのです。私の隣人には豊かであって欲しいし、その隣人も豊かであって欲しいと考えています。なぜなら悪いものはすぐに伝染しますが、良いものはなかなか伝染していきません。

ならば、皆が豊かになる他ないのではないでしょうか。


なんかいっぱい自分の言葉でかけた自分に驚き。えらいぞ私。



この記事が参加している募集

自己紹介

noteお読みくださいありがとうございます!細々と投稿していきますが、応援したくなった方いましたらぜひよろしくお願いします!活動の補助に使わせていただきます!