【妄想】50歳の成功した自分になりきってインタビューを受けてみた

とある勉強会で

成功した状態を想像して、なりたい自分を自由に語ることで
そのために今どうすることが必要かを考えるワークを受けました。

株式会社あきらめない代表取締役の #張替一真  先生に教えてもらいました。

張替先生の著書はコチラです⬇️

自分を動かす習慣 ~80のヒント集~ 張替 一真


7,000字以上あるので読むのが大変な方はYouTubeで「ながら聞き」してください。45分あるので1.25倍くらいで再生することをオススメします。

それではスーパーヒーローの立岡さんにインタビューします。

 「なんでも聞いてください」

 今50歳になって、ものすごい活躍されていますが、今一番活躍されているものは何ですか? 

「靴が想像したイメージ通りの色で作れる。こんな ものが作りたいとイメージしたものが、1ミリも違わずに完璧に再現できる。もちろん物理的な限界 はありますが、想いや感情が表現できるようになりました」 

どんな靴が作れるんですか? 

「靴だけじゃなくて、最近は色を染めれるもの、例え ば革もそうですが、この製品にこんな色を足したら、世界がもっと輝き出すのではないか。というイメー ジが浮かぶんです。例えばこの机は、今白いですけど、もしこの机がこんな色だったら?と その技術は?どうやって身につけたんですか? 「よくわかんないんですよね。色の勉強もしましたけど、やってみたら出来ました。」

いつから色に興味があったんですか? 

「3歳から。実際に靴に色を付けだしたのは35、 6歳くらいからです。靴っていうキャンバスで自分 を自由に表現できるようになった、という感じです。 靴から始まって、革の雑貨を染めるようにもなって 来た頃に気がついたら色について詳しくなっていました。」

 例えばどんなものを作りました? 

「家。靴って生活に密着するものですが、生活を包 むようなものを作れるといいなと思って」 

それは何歳の時ですか? 

「最初は42歳で。40までは靴ばかり。40を過 ぎて、空間プロデュースの声がかかって最初は家具、 小さい雑貨、服、だんだんと生活空間全体を作るよ うになりました」 

最初の家はどんな家だったんですか? 

「外見は白い箱型。2000年代に流行った現代建築なんですけどドアを開けて入るときに、まずドアの取っ手には革を巻いてて。基本的には無垢材 が多いです。無垢材も靴と同じで、木材用の染料を 混ぜたら靴のようなグラデーションを作ることが出 来る。もともとオイル塗装の無垢材の家具が好きで、 それに手を加えるのはどうかと思ったけどやってみたらすごい綺麗でした。」

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「こんなグラデーションの家具とか作れる。無垢材の素材感を活かしながら。」

絵本の世界ですね!

「みなさん小さい時はいろんな想像力があったと思うんです。例えば絵本の中にいろんな色の動物がいたり、空を飛べたり、押入れの中で冒険が始まったり。それも、まだまだ今でも出来るはずなんです。」

それを家の中でやろうと思ったんですか?

「そう。生活の空間で、もっともっと想像力が使えるはず」

その時、苦労したことはありますか?

「家なので、スケール感が大きかったです。もともとは足元の靴から始まっているので大きいと完成までの期間が長くかかった。でもそれくらいです。」

お客さんの家なんですか?

「はい。もともと靴のお客様の家でした」

どんなオーダーで?

「そのお客様は、少し派手なものや奇抜なものが好きな方でした。ピンクのクラウンに乗っているので、ピンクの靴が欲しいとか。今度ティファニーブルーのスーツを作るからそれと同じようなブルーの靴を作って欲しい。とか。それから同じような色のカバンやベルトは出来ないか?って話の延長で服、コートも作りました。それで、『同じ革なんだから、ソファーとかも作れないか?』って話になって。ある時、お客様との友達に、『この人なんでも染められるんですよ』と紹介されて『そうなんですよ。なんでも出来るんです』って」

実際に家が完成した時の時お客さんの反応は?

「笑ってました。こんなんが出来たですか~って。細かい部分はお任せにしてもらいましたけど、お客様が想像していた通りというかどんな空間になるのか想像しにくかったので、想像以上というか。それでも『自分の世界が変わるような、生活の空間ができた。」って言ってくれました。そこで生活して気が休まるかはわかりませんが、友達とかに見てもらうことで そのお客様の生き方や価値観を表現したものが作れたと思っています。」

他に同じような仕事をされている方はいるんですか?

「僕の場合は靴から始まって、今度は公共交通機関のラッピングをやるんですけど今までは自分とお客様のことばかりやっていましたのでこれからは地域社会が明るい気持ちになることをやりたいと思っています。なので、同じような仕事としては建築士やグラフィックデザイナーになると思います。基本的には靴が好きだけど、世界にイメージしたものがたくさん実在すると面白いので。」

今は月に何足くらい靴を作っているんですか?

「月に10足くらいしか今は作っていませんけど、多い時は100足くらい作っていました。靴はどちらかというとプライベートなもの。公共のものは多くの人の人生と関われるので靴から始まって、人を輝かせるということから、街を輝かせる仕事が増えて来ました。綺麗な靴を履いた人が増えると、その人の周りの人達が少し楽しい気持ちになると思うんですけど綺麗な色の電車が街を走っていたら、明るい気持ちになる人がもっと増えると思っています。」

靴屋はいまはどこでやっているんですか?

「今は、岡山と東京とサンフランシスコ」

世界に行ったんですね? 

「海外に一個くらい事務所があったらかっこいいな と思って。ニューヨークとかロスとかもいいなって 思ったんですけど、縁があってサンフランシスコ。」 

いつの話ですか? 

「38歳の時。靴磨きをしている友達がサンフラン シスコに武者修行で行くって話で彼はshine or die (輝くか、死ぬか)っていうワッペンを作ってたんで すけどフェイスブックを見てて、彼のところへ遊び に行ってみようと思って1週間滞在しました。いい 街だなぁと思って。彼は日本に帰ってきて独立して店を出してます」 

アメリカでやってどうですか?

 「日本が一番いいことに気づいた。海外は刺激的で 面白いけど日本人が一番仕事が細かいです。『手が切れそうなもの』を作るのは日本人ならでは。外国 にしかない技術もあるけど、パッとみて『これは手で触れたら切れそう』と思えるもの。完成度が高くて 緊張感があるものは日本にしかないなと。稲盛和夫 さんの本で読んだ表現なんですけど。 」

今はそういう手が切れそうな靴作りが出来て来ま したか? 

「切れてきたんじゃないですかね~」 

どんな靴なんですか? 

「これも稲盛さんの燃える闘魂って本に書いてあっ た表現なんですがある社員に製品を作れと。それ で、完成したけど見た目が悪いから作り直せと言っ たそうです。そうしたら社員は『製品としての機能は お客様の要望には応えています』と言うんですが いやだめだ。作り直せ。と。それで作り直した結果、 お客様の要求する以上のものが完成した。それが 評価されて、今でも続くような取引に繋がった。と いう話があって。相手の想像を超えるものを気迫を 込めて作る。っていうイメージです。」

 立岡の靴でいうと? 

「最近思うのは、靴のシルエットがとても綺麗であ るということです。木型の美しさ、靴作りに関わる 職人の技術ももちろん大事なんですが、最後の仕 上げ、染めの工程と磨きが一番大切だと考えてい ます。家具を作るにしても、最後の一手間。仕上げのオイルを塗った後、サンドペーパーをかけて、表 面を整えて、最後にもう一塗装をする。それで完成 した時のシルエットが変わってくるんです。最後の 一手間を惜しまない。今のままでも十分良い品質 だけど、さらに想いと気迫を込めるのが大事だと思 っています。最近は優秀なスタッフがいるので、任 せている部分も増えて来ました」

 スタッフは今何人いますか? 

「今は7人います」 

みんな靴職人なんですか?

 「基本的には全員が靴のことをわかっていて、靴作 りに関われる職人たちです。7人の侍みたいでかっ こよくないですか?」

 どんな人がいるんですか?

 「一人は17歳。男性です。高校は行ってなくて中 卒。たまたま靴の展示会で出会って、話してたら面 白そうだなぁ、若いときの自分みたいだと思って採 用しました。今のところは靴の仕上げ、染め、磨きの 部分だけやってもらっています。もう一人は、今年 50歳。同い年です。靴をずっと作ってきた靴職人。 こんな靴作りたいと相談したら、それを再現してく れます。」

 同じ靴職人だけど、立岡さんの下で働いてくれてい るのですか?

「雇用形態でいうと個人事業主同士のような関係に 近いかもしれません。社員というよりは、専属のパー トナーという関係です。」

 その人が一番上なんでしょうか? 

「62歳の職人がいます。会社というよりは一つの チームのようなイメージです。その人は、昔から一 緒に仕事をやってきた工場のボス。外部役員みた いな感じです。あとは40代が2人いて、そのうち の一人は女性です。30代のデザイナーと靴デザ イナーの7人です」 

他にこんな事業を展開している企業は岡山にある んですか? 

「中山靴店さんがやっています。うちとは違う路線 だけど、ずっと良い靴を作っています」 

そういえば奥さんも事業やってますよね? 

「よく知ってますね!ずっと岡山でベリーダンスやっ てます。今でも現役で踊って、教えてます。見た目は 40歳からあんまし変わってないんですけど。」

 お子さんはいらっしゃいますか? 

「子供は3人います。15歳と12歳と8歳。仲良 いですよ。」

 休日はどんな過ごし方をされていますか? 

「旅行に行くことが多いです。まとめて休日を取る ので、この前は台湾へ2泊3日で行きました。今後 はまとめて取る休みを増やそうと思っています。」 

旅行は子供にとっても良い経験になりそうですね。 

「週末や夜に家にいるのも嬉しいと思いますけど、 うちは代々商売をやってきた家庭だったので家族 全員で過ごす休みが少なくて。たまに旅行に連れて 行ってもらうと嬉しかったので。」

 子供達にはどんな大人になって欲しいですか? 

「今のところ、自分がやっている仕事を面白いと思っ てくれてるみたいなので、その時の自分の感性で面 白いと思えることをやっていく人間になってくれた らと思っています。」 

靴職人ではなくて? 

「面白いと思って、やりたくなったのならやったら良 いと思います。」 

子供用の靴は作りますか? 

「作ったことありますよ。」 

子供の成長に合わせて? 

「はい。自分の子供靴は作りますけど、世界中に広 めたいとは思っていないです。他に作れる専門の 人がたくさんいますから、うちは自分たちの世代を 中心に大人がいかに快適に夢を持てるか。という靴作りをやっています。」

 それが家にもつながるのですね。 

「安藤忠雄みたいにね、 

自分の家はどんな家なんですか? 

「自分の家は、35歳の時に立てたままで、真っ白 です。自分が生活するには、白い方がいいなと思っ て。青山の事務所は、ごちゃっとしてるというか少し 尖ったイメージにしてますけど。」 

では今の事業としては、靴と家と。他には? 

「靴と、カバンと家具、あとは住宅、公共交通機関の ラッピングのグラフィックデザインです。」

広がっていますね。 

「いや、日常に夢がある。ってことがやりたくて、一番 は靴なんですけど。靴の色が夢があったら面白いな 、って思って、それから他にも普段身に付けるもの が人と違ったら面白いなって思って、普段使う家具 が、自分だけの特別なものだったら面白いな。という だけなので。自分だけのものにしたいものが増えた。 って感じです。」 

これから10年後はどうされるつもりですか?60歳。 

「やりたいことは出来ているので、もっと家族との時 間を作りたいと思っています。だいぶ旅行とか行っ てるんですが、もっと仕事って面白いぜってことを子 供達に見せたいです。働くところをもっと意識的に 見せるというか。」 

家族とサンフランシスコも行きましたか? 

「一昨年行きました。海外に連れて行くと子供も喜び ますからね。 あ、でもビジネスクラスですけど。」 

儲かってるんですね笑。ぶっちゃけ年収はいくらくら いなんですか? 

「1000万超えたのが39、40くらい。」 

そのあとは? 

「1000万を超えてからは、43までは1000万 でした。44歳で1500万取れるようになって、 45歳で2000万。これは十分貰えるようになっ たのでそれからは社員や地域に還元しています。」 

月100足売っていたら、それくらい稼げますね。 

「そろそろ地域貢献をと思ってます。」 

40代で財産は稼いだので、これからは地域貢献。 素晴らしいですね。会社大きくされますか? 

「規模は今くらいでいいと思っています。社員も8 00万くらい給料取れてますし」 

靴の価格帯は? 

「最盛期は20万を100足売ってました。」 

こだわりは何でしょうか? 

「一番はシルエット。触ったら手が切れるような。完 成度と緊張感を込めて作ってます。その時に社員も 増えて。」 

安価な靴は? 

「最初から全くやってないです」 

最低でおいくらですか? 

「8万円です。ラインナップとしては、8万、12万、 15万、20万です。家具とかになると30~40 万くらいになりますけど。」 

お客様はどんな方ですか? 

「一番多いのは経営者と芸能人です。」

 どんな靴を欲しがりますか?

「最初は評判が良いらしいね、って聞いて来られる 方が多く、奇抜ではない黒い靴。履いてもらうと、他 の靴とは違う!そうでしょう~ってなります。この人に はこの黒がぴったり合うだろうな、という黒のニュア ンスまで提案します。」 

それは人によって変わるのでしょうか?

 「はい。形は同じでもその靴に込める想いが変わり ます。この人が履くなら、この感じで作ったらいいな! って。今までだったら、工場で半分流れ作業のように 作っていましたけど、今は革の裁断の時点から、こん な人が履くよって靴作りに関わる全員に伝えていま す。今自分が作っている靴は、こんな人が履くんだ、 という意識になっています。そうすることで、出来上 がった時の、ものづくりの精度が上がる。最後のシル エットに出てくる。手が切れそうなものになる。」 

いつからできるようになったんですか? 

「37~8歳の頃からです」 

当時の価格帯は5~6万でしたよね?何を変えた んですか? 

「提携していた工場と付加価値を高めようという話 になり、素材や技術を磨いていきました。あるとき 思ったのは、靴作りって部品が多いのでパーツ毎の 分業制なになっていたんですが、工場にこの寸法で 作ってください、と注文して出来上がってくる靴は、 工場で作った人からすると、自分の作った靴がどん な人が履くのか全然わからない。例えば、工場の人 たち全員が『こんなお客様が履くんです。こんなライ フスタイルで、将来こうなったらいいな』こんな想い を持って仕事されています。とか知ってたらどんな 靴が出来るでしょう。例えば今日のインタビュアー の洲脇さんの靴が出来上がった時、革の裁断工場の お姉さんも洲脇さんのことを知っている。もし工場に 洲脇です。って訪ねて行ったら、ああ、あの時の洲脇 さん!ってなります。オーダーといっても分業が多か ったので、少しでもつなげていったらいいなと。ここと ここが離れているなと思ったので、お互いもっと顔が 見えるようにと。」 

苦労した点は何かありますか? 

「なんでって言われました。一部ほかの外注先にし たりしましたけど、その時も相手からやっぱり。なん で?って言われてでも、手間がかかる分、値段が倍か かってもいいからやりましょうと。諦めかけたことも ありましたし。取引先を変えようとまで思ったけど、 結果それがよかった。作る側も単価が上がった方が いいし。職人さんたちにはものづくりへのプライド がありますから、その時は自分にも礼儀が足りなか った部分があったと思いますし、やるまでは出来る かなと思いましたけど、やってみたら何とか出来ま した。」 

かっこいいですよね。昔作った靴と全然違いますね。 

「ちょっとずつ、年代によって変わってきました。振り 返ると、いい靴ができるようになったな。と思います ね。」

 私も欲しくなりました。 

「よかったら差し上げますよ。」 

ブランド名は?  

「色々あるんですが、一つは立岡、自分の名前。10 万円 日本語で一個作りたいと思って。」

 20万円のハイブランドの名前は? 

 「シューズオブジャパン。グーグルで検索したもなか ったのでかっこよくないですか?シューズオブジャ パン。日本の靴。触ったら手が切れそうな名前で しょう。思いついた時はこれしかない!と思って。嫁 に話して、これどう思う?って聞いて。」 

その時の奥様の反応は? 

「それでいいんじゃない?って。作りたいイメージに、 合うんじゃないって言ってくれて。」 

座右の銘は? 

「一事が万事。最近は。」 

どういう意味ですか? 

「一つのことを一生懸命やれんやつは、ほかのことも 一生懸命やれん。今までもいろんな座右の銘があっ たんですけど、人生のその時々で捉え方が変わって いきました。40歳の時も一回、一事が万事。にな って。最近まだ大事やなって思って。一事が万事。」 

いままで、あの時ここをこうしとけば良かったって いうことはありますか? 

「最近になって思うのは、間違えたりした時に、もう ちょっと自分から早くごめん、って謝ったらよかった なって思います。ちょっと間違えて伝えた時に、2 日前にわかったって時に、すぐ言えばいいんですけど 言いにくくて翌日に言うことになったりとか。でも それくらいですかね。あと10年前に同級生と集 まって、すごい酔っ払ってしまって。あの時はごめん とか。その時は久々に暴れて、同級生に説教したり、 最後歩けなくなって家まで運んでもらって。あの時 はごめんって。」

 健康上、気をつけていることは? 

「スッゲー元気。」 

なんで? 

「嫁と毎朝散歩してます。いろんな話ししながら、 近所を歩いてます。 あと寒天食べてます。40歳 くらいから。身体にいいって聞いてから。ああ、そう 言えば自宅にサウナをつけました。蒸気出てくるやつ。 家にあったらいいなと思って!。」 

今日はありがとうございました。

 「ありがとうございました!」


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