(231026f) 宗教の信仰には、アメとムチがあり報償と恫喝が一体である?

「信じる」「信仰」をしている間は、報酬・報償ばかりだが、
イヤになったので信仰を捨てようとすると、
恫喝が入って来るようだ。
その様な構造が、実は、宗教にはある為、
なかなか、抜け出せない。という状態におちいる様だ。


創価学会では、聖教新聞の配布活動がイヤになる等してやめようとすると、
幹部たちは、「今まで付いていた福が落ちるよ」と、暗に脅しを入れる。
その様な感じであるそうだ。

あるキリスト教の元信者も、
「信じるのをやめたら、悪いことが起こるのではないか」
「死後、地獄に堕ちるのではないか」
と、信仰するのがイヤになった時、そういう考えが、頭に浮かんだそうだ。

こんな感じであり、
信仰や宗教から抜け出せない症状を呈する。(一種の中毒症状)

しかし、この人の場合、その宗教に於いて、あまりに非道な出来事があり、
その脅しや恫喝を乗り越えてしまった例の様です。

文章としては、短いかも。
でも、
宗教の信仰とは、全般的に、こんなモンである。と言いたい。

以上です。

追加です。(2023/10/26 - 15:25 頃)

ふと思ったが、
毒親に於いても、子供が逃げ出して帰って来ない事を防ぐ為に、
中毒になりやすい構造というモノが存在しているかも。

あと、こういうアメとムチの構造は、
一般的には一神教の宗教で、よく見掛ける。
また、仏教は、どうみても一神教では無いが、
信仰の名の下に、恫喝が存在する事例がある様だ。
結局、運営している人間の良心に係っているのかも、しれない。

以上です。