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「どうしても忘れられない味」になることを願って

「どうしても忘れられない味」というものがある。

ただ「忘れられない味」ではなく、「どうしても忘れられない味」。

それはお母さんがセンター試験当日の朝に作ってくれたいつもと同じハムとトマトのホットサンドかもしれないし、少し背伸びをして出かけた初めての彼女との喫茶店の珈琲の味かもしれない。

「全然プレゼンうまくいかなかったね、悔しいね」なんて言いながら、少し雨の降っている日に会社の同期と吸ったあのタバコの味かもしれない。

とにかく、それを味わうだけでその時の天気や服装、僕少し汗臭かったかもな、なんてことまで思い出してしまうもの、その味。

僕はそれを「どうしても忘れられない味」と呼んでいる。


2008年の夏も暮れに差し掛かった頃、当時中学校3年生だった僕は、もはや少し人に自慢できるんじゃないかというほどの汗かきだった。その日は丸一日体育祭で授業がなく、気持ちも浮足立っていたため朝から大はしゃぎ。時計が12時を指す頃には、背中が透けて絞れるくらい体操服に汗をかいていた。

男子校の体育祭はそれはもうすごい。読んで字のごとくお祭り騒ぎ。

どんなに足が速くても振り向いてくれる女の子はいないし、擦りむいたって絆創膏を貼ってくれる彼女はいない。それでも皆ゴールだけを見てただ走る。汗を飛ばしながら全身のバネというバネを活かして大地を蹴りつける。そんな彼らをクラスメイトは次の日には声が出なくなるくらい大声で応援し、負けたときには泣きそうになるくらい悔しがった。

僕は当時から高校を卒業するまで帰宅部で体育祭なんてクラス共通の種目にしか出たことはないけれど、それでも毎年このお祭りの日を楽しみにしていて、毎年体育祭の前日には「雨がふらないといいな」なんて思っていたものだ。可愛らしい。

帰り際、2種目しか出場していないのに、さも自分が一番活躍したかのような汗をかいて教室で荷物をまとめていた僕にとある友人が声をかけてきた。

「おい、ラーメン食いに行こう」

彼も僕と同じとてつもない大汗かきで、体操服から着替えたワイシャツの背中はもうじんわりと汗ばんでいることが見てわかった。

「いいけど、暑くない? 駅前の冷やし中華食べようよ」

「いや、だめだ。こんな日こそラーメンを食べるんだ」

「なんだよそれ」

なんて会話を交わしながら、僕と彼は神保町にあるラーメン屋「めんめん・かめぞう」へと足を運んだ。

「ここ来たことある?」

友人はお店に到着する直前、僕に聞いてきた。

「いや、ない。先輩から名前だけは聞いたことあるけど。お前は?」

「ないよ。えっ、ってか来たことないの!? お前なら来たことあるかと思って誘ったのに」

「なんだよそれ」

「おじさんが一人でやっててさ、いつも前通るときに食べてみたいなと思ってたんだ。でもなんか怖い気がするんだよなあのおじさん。おい! 麺からじゃなくてスープから味わえよ! みたいなさ」

「まじ?」

「俺のこういう勘は当たる。だから常連っぽい顔をしているお前に声をかけてみたんだ。」

なんて適当なやつなんだろうと思ったことを非常によく覚えている。学校から歩いて15分位の距離にあるこのラーメン屋にたどり着くまでの間に、僕も彼も額に汗を浮かべていた。

「とりあえず、入ってみようよ」

と僕は彼に声をかけるが、彼は足を前に動かさない。

「どうした?入らないの?」

「なあ、俺達ってさ汗っかきじゃんか?」

「えっ、うん。それがどうかした?」

「せめて、きれいな状態でラーメン屋に入らないか?」

「はい?」

「汗をさ、拭いてからお店に入ろう」

「あぁ、でも俺ハンカチとかいまないよ。タオル汗でビチョビチョだし。大丈夫だよ、このまま入ろうよ」

「いや、だめだ。コンビニでタオルを買おう」

「なんだよそれぇ」

彼はそれを「ラーメン屋に入るための礼儀」だと呼んだ。ちょうどラーメン屋の向かいにセブンイレブンがあったので、入って紺色のハンカチを2枚買った。おじさんくさい柄のハンカチしかなくて、最後の最後まで買うことを渋ったのを覚えている。

せっかく貴重な数百円をはたいてハンカチを購入したにも関わらず、コンビニで長い間「買う買わない論争」をしていたせいか汗はとっくのとうに引いていた。

「おい、汗もうかいてないじゃん! 無駄な買物した!」

「結果オーライだ。心してお店に入ろう。」

僕はなぜか誇らしげな彼の顔をキッとにらみながら、「とんこつらーめん」の食券を買ってゆっくりと「めんめん・かめぞう」に足を踏み入れた。

厨房では確かにおじさんがひとりでせっせとラーメンを作っていた。暑いからか眉間にはシワが寄り、真剣な眼差しで汗を拭いながら麺を茹でている。月並みな言葉だが「漢」を感じる。

「あいてるとこ座って」

恐る恐る入店した僕たちにおじさんはそう声をかけた。

「麺は硬め?」

「あ、ふたりとも硬めでお願いします。」

「はいよ。今日体育祭だったんだってね? 替え玉もあるからね」

「ありがとうございます」

彼の言っていた「怖いおじさんかもしれない」という勘は大きくハズレていた。満面の笑みで常連さんたちと話す姿や、「ありがと、どうもありがと」といって食べ終わったお客さんを送り出す姿。30℃以上あるだろう厨房で湯気にまみれて素早くラーメンを作るその手際に目を奪われたことをよく覚えている。

彼も僕も、汗だくになりながら麺をすすった。○○の出汁が~みたいな詳しいことは全然わからないけれど、うまいということだけはわかる。替え玉分も含めて2杯分、やっとのことでたどり着いたとんこつラーメンはめくるめく速さで胃袋に吸い込まれていった。

「ハンカチ買ってよかったな」

と言って笑いながら汗を拭って帰ったあの日のことを、僕はなぜか鮮明に覚えている。

その日以降、僕は高校を卒業するまで彼と足繁く「めんめん・かめぞう」に通った。

大学に入学し、大学院に進学し、自然と彼と連絡はとらなくなってしまったけれど、それでも僕は一人で「めんめん・かめぞう」に通い、そのたびに彼はまだ来ているかとおじさんに尋ねては、最高のラーメンを胃袋に収めた。


そんな「めんめん・かめぞう」に先週久しぶりに足を運んだ。

就職してからしばらくこれておらず、まだおじさん覚えてくれているかな?なんて少し心配になりながら入店すると、開口一番

「久しぶりだね! 何年ぶりだい! お前ちょっと太ったな?」

と声をかけてくれた。少し涙が出そうになった。人が人を覚えている、それだけのことなのにこんなに嬉しいものなのかと、不思議な高揚感をおぼえた。

「ずっと一緒に来てくれていた彼、髪の毛緑色になってたよ」

その言葉を聞いて、「彼もまだ、めんめんかめぞうに足を運んでいるんだな」と何故か無性に安心した。人が人を覚えている。その感情は「めんめん・かめぞう」を通じて僕と彼とをもつないでいるのだなと、そう思ったのだろう。

また至高の一杯を胃袋に収め、さあ帰ろうとしていたところ、不意におじさんがこうつぶやいた。

「このご時世さ、あんたたち常連さんが来まくってくれないと思い出の味なくなっちまうよ」

聞いた瞬間は意味がわからなかったのだが、すぐにコロナウイルスのことだと理解した。飲食業界はコロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛のあおりをうけ、大きなダメージをうけているということは誰もが知っているだろう。そんなことは僕も大いに理解しているつもりだったが、身近な、思い出の味がなくなってしまうという状態は全く想定していなかった。

急に様々な不安な感情が押し寄せてきた。

「めんめん・かめぞう」で食べた一杯一杯は、僕の中ですべてが「どうしても忘れられない味」になっている。

とんこつらーめんの味は変わらなくとも、毎回「思い出」というトッピングが姿かたちを変えて色鮮やかに丼を彩っている。

そしてそのときその瞬間を共にした友達や、愛する彼女と、その一杯を通して記憶や雰囲気を共有している。

「めんめん・かめぞう」はいつまでも更新し続けることのできる卒業アルバムのようなものだと思っていた。

そんな僕にとってのこころの拠り所がなくなってしまう。

動かなければと思った。

僕にできることはないだろうかと必死に考えた結果がこの拙い文章を連ねたnoteという形になった。

「たつも」という名前を利用しているような形になるのだが、ただ純粋にひとつお願いをさせてほしい。

「めんめん・かめぞう」に一度足を運んでほしい。

そして、僕が積み重ねてきた記憶を一筋つないでくれている、このラーメンを食べてほしい。

汗を拭うハンカチを持って、背中を濡らしながらそれぞれが新たに「めんめん・かめぞう」を通した物語を作って欲しい。

ただそれだけを願う。

僕も久しぶりに緑色の髪の彼に連絡をしてみようと思う。

「どうしても忘れられない味」になることを願って。






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