LAMB/ラムの感想

アダちゃんはかわいい。

それは間違いない映画でした。はじめてアダちゃんの全身が見えるシーンはキリスト教圏的には怖がるところなのだろうけど、ほっこりすることまちがいなしですね。かわいいんだもん。

分岐はどこだったのか

いろいろと他の感想を読んで、神話知識を仕入れて、こういう話だったのかな。という解釈を書いていきます。ネタバレたっぷりです。





まず大前提の、ラストで出てくる「父親」について。山にいる、角の生えた獣の頭に人間の身体つき。第一印象はパンかな、でした。

真っ先に浮かんだのはクトゥルフ神話に関連付けられたパンです。その源流はこちら。

日本語では牧神とも言われるこの神を構成する要素としてかなり大きいのが、羊飼いの神であることと、性愛にまつわる神であることなのですけど。

作中出てくる性愛要素は3つです。
牧神パンとアダを産んだ母羊。
娘を亡くした主人公夫妻。
そして主人公に迫ってくる旦那の弟さん。彼が関係を迫るときに持ち出したのは「母羊を撃ち殺したこと」。これらが絡まりあうことで気味の悪いストーリーが出来上がりです。

たぶんこの話、母羊を殺すか殺さないかが分岐なんじゃないかなぁと。あの時殺さず放置してたら、弟さんがアダちゃんに銃を向ける発想もなくなり、弟さんに脅されることもなくなり、しばらく4人仲良く暮らしてたはず。

そうなると弟さんが我慢できなくなってアダちゃんを殺そうと考えたとき、まず川に連れていく。以前川で亡くなった娘さんがいるのだから。アダちゃんがいなくなった時、真っ先に旦那さんが川を見に行ったので、これは確定のはずです。

そうして「父親(牧神)」が川に現れてアダちゃんを連れ去ったならば。
二度も川で子供を失った両親も川に入る気がします。そしてアダちゃんを追いかけて牧神の住む側に渡ってしまう。山に取り込まれると言いますか。あの、家の回りに広がる大自然のシーンを眺めているとそう思えてくるんです。あんな広い山に2人ぼっちで暮らしていたら、山に飲み込まれそうだと。

でもマリアが母羊を撃ち殺し、弟さんがアダちゃんに銃口を向けることで牧神に銃を教えてしまい、旦那さんが犠牲になってしまった。なってしまったから後はアダちゃんを追いかけて山に飲み込まれるしかないと思われたところが、そうならなかった。その前に夫婦の営みが、人間同士で交わされた性愛があり、それが実を結んだから。もうアダちゃんを追いかけなくても、自分自身の子供がお腹にいるとわかったから。

だからマリアは人間の世界に踏みとどまることが出来ました。めでたしめでたし。とっぴんぱらりのぷう。

アダちゃんを媒介にして山に食われかけたところが、旦那1人の犠牲で逃げ延びたお話なのかな、と解釈したお話でした。

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