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合格通知後→コロナで日本へ 今も上海に帰れず、オンライン受講に

2019年12月末、エッセーや推薦状を提出し、迎えた2020年。面接を1月中旬に受けたあと、数日後に無事、上海交通大学IMBAコースから合格通知をもらい、ハッピーな気分のまま、家族で春節バカンスへ。が、浦東空港にはマスク姿の人ばかりですでに緊迫感が・・・そう、この頃から、その後世界を大きく揺り動かすコロナ禍が始まりつつあったのでした。

タイ旅行中に上海→日本への便を予約

つらかった受験勉強を乗り越え、無謀と思われていたMBAスクールの合格も手に入れた! 春節は夫も子どもたちもまとまった休みが取れるので、私の合格祝いもかねて、家族でタイへ旅行に行きました。

19年12月末に、武漢で「原因不明の肺炎発生」の発表がなされたあと、1月に入ってから日本を含む海外でも、ちらほらとコロナ感染者が報告されるようになっていました。春節休みに入る直前、ママ友と飲茶ランチに行ったところ、中国人の親子が、かなり入念に手洗いをしていたのが印象に残ったことを思い出します。

タイへいざ出発する日。浦東空港ではほとんどの人たちがマスクをしていました。PM2.5で空気が少々かすもうが、ほとんどの上海人がマスクをしていなかったのを見てきていたので、中国人がマスクをしている姿に、ただ事ではない、と感じました。

とは言え、タイに着いてしまえば、ビーチもプールも、レストランも、マスクもせず人があふれ、そこにはいつも通りのリゾート地の平和な風景が広がっていました。(多くの中国人観光客が買い占めていたからか、マスクも品切れ状態でしたが)

上海の幼稚園が休園になるとの連絡

ホテルのプールで、家族みんなで遊んでいたところ、私のスマホに、旅行前にランチを共にしたママ友からメッセージが。「幼稚園が休園になるみたい。日本に帰ろうかと思ってる」。

「そうか、上海もいよいよコロナが迫っているのか」 私たちはそう考え、夫と相談した結果、急遽、タイから上海に帰るその日のうちに日本へ向か便を、私と子供2人、3人分押さえることにしました。

上海の自宅マンションに戻ったところ、そこには旅行前とは全く異なる風景が広がっていました。人影もない。いつもけたたましく走る電動バイクもほとんどいない。デリバリーのお兄ちゃんたちの姿もない。これは早く、私たちも脱出しなければ。そんな思いで、慌ててスーツケースから、夏服を取り出し、冬服を詰め込み、日本へ戻る準備をしました。自宅での滞在時間は2時間程度だったと思います。

まさかそれから1年半自宅に帰れなくなるなんて

そうやってバタバタと再び浦東空港へトンボ帰りし、妻子3人で日本へ向かったのでした。

夫もその後、会社から日本への一時帰国命令が出て、2月の間1か月間は日本で仕事をしました。私たちは、私の実家に居候生活。結局、夫は3月初めに会社から上海への帰国が命じられるとともに、家族は日本にとどまるよう言われることになりました。

当時は、3月の間は春休みでどうせ幼稚園がないから、まあ4月か5月くらいに上海に戻れたら、と考えていました。しかし、一気にコロナが中国から世界に拡大すると同時に、3月下旬に中国の渡航制限が厳格化。私たちは上海の自宅に戻れなくなってしまったのです。

さすがに私の大学が始まる9月には、上海に戻れるだろう。そう思っていましたが、甘かった。一時的に、帯同家族のビザ発給が緩和された時期もあったのですが、夫の会社がなかなか再帯同を当時は認めませんでした。やっと会社が認めたと思ったら、また中国側の制限が厳しくなり、またもや帰る道が閉ざされ、いま現在に至るのです。

恐れていたオンライン受講に

ただでさえ、英語での授業にちゃんとついていく自信もなかったのに、まさかオンラインで受けるなんて。友達もできるのだろうか。チーム課題はどうなるのだろうか。子どもたちがいたら、授業に集中できるのか。心配ばかり募っても、一向に国境は開かれません。

そうやって、2020年9月から、ZOOMでのMBA生活 in 私の実家、が始まることになるのでした。一番の応援者だった、夫とも、離れ離れのままです。


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