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実家に帰ってきたら鬱になりそうになりました。#22_01

結論=なにかを手放すとか、何かが変わることを許容するって、少し成長したような気もしつつやっぱりなんだかセンチメタルだよね。っていう話をします。

あけましておめでとうございます!
も、いささか古びた表現になってしまった1月も1週間となる8日の日暮れ頃。

3年間任期のお仕事が年末で終わり、年始をシェアメイトと友人たちと宿場町の古旅館のシェアハウスで過ごす。
日本の忘れ去られつつあるお正月スタイルをコスプレ的に謳歌しつつも、謎の腹痛に悶絶して手間暇かけて作った御節に箸を伸ばせす事もできない年始の出来事ももはや思い出となってしまうと思うと、日々が加速度的に過ぎていくことに焦りつつある35歳真っ只中。

門松と松飾りと年末に臼と杵でついた餅の鏡餅を飾る古家から、古巣の京都へ。
やっとのこと築100年ちょっとの大きな建物をリノベーションしたワークスペース的なカフェでPCを開くことができました。(すぐにMTGが始まってしまうけれど)

実家は京都駅の裏側から徒歩8分程度のところにある

未だに2021年の振り返りや、2022年の抱負をエモくアンニュイにポエミーにテキストにしたっためることも叶わずろくに更新をしないnoteを開いて記事を書こう!なんて能動性をいきなり打ち砕く出来事が起こってしまったのでした。

実家に帰りついた途端、ぼくは鬱になりそうになってしまった!!

もちろん、みなさんにご心配いただくような現在進行形ではないのだけど
それはもう悲しみと切なさを混在させた度数60%のスピリッツを一気に流し込んだような感覚なのであるのです。

その【実家】と記した家は、高校1年生から長野に移住した22歳までを暮らした家で、京都駅八条口から徒歩550m、google上では徒歩7分と表示される場所にある、大きなマンションの一階の一室のことを、さしています。

現在は母親が暮らしている家で、年末年始母親は父親が暮らしている長野県のど田舎の古民家に滞在中。
これはちょうど良かったと帰り着いた青春が詰め込まれたその、実家。

高校時代は仲間と音楽を楽しみ、学生団体運営時は企画を作り制作し、酒を酌み交わした人数は数え切れない。

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↑いつの写真、、?!笑/少なくても13年以上前

文化が生まれる京都駅裏サロン
などどと意識高く総称しても遜色ないでしょう。
#言うのはタダ

思い出を外部保存しておきたいという女々しさなのですよ

京都年始2022_3SHIZUKA-8

毎度、この青春という時間が詰め込まれたこの実家に帰り着く度
ぼくは複雑な感情に包まれてしまうのです。

この家を後にして、13年。
その頃と同じ間取りの同じ家は、ぼくが暮らした「その時」とは、全くの別世界となっているのです。

高校生の頃には古着を愛し、アメリカンテイストに古いスヌーピーや雑貨を敷き詰めて、お手製のブロックと木でできた棚に綺麗に畳んで陳列していた古着のTシャツたち。
間接照明とキャンドルの薄暗い六畳空間。

思い出すとめちゃくちゃお恥ずかしいその空間も、その頃を知る最後の一つだった自転車も、寝間着用のスウェットも、いまは無く
知らないモノが溢れに溢れる、当時はなかった昭和年代の実家感の空間になっているのです。

つまりは、自分が暮らした家が、自分と関与しない誰かの実家
そんな場所に変容していたんです。

京都年始2022_2京都駅周辺-16

家を一歩出ると、その景色も同じく。
その頃とは別の姿、日に日に街へと変容しています。

何かが変わってしまうこと。
それには必ず理由があって、残せないというネガティブな現状も、変えようというポジティブな意思も同等に存在してる。
だから時代は常に変化を続けるということなのでしょう。

ぼくは古い家を再生したり、古いモノを収集して販売する古物商で、自分自身が持つ「女々しさ」をある意味原動力として糧を生成していたりしています。

だから、残したいし使いたい。
これまでたくさん失ってしまったモノ、新たに得たモノも
それが時代で、それが力だ。
時代に抗うなら、力を付けろ!!なんてドS思考を持っていたりします。

なんだけど!!!
思い出を外部保存しておきたいという女々しさ。と
それらを、タチ悪く他力本願でうじうじ願い、生きているのかも知れません。

そんなことを踏まえて、捨てない!ということを考えていこうかと

hito.to買取上田東御

ぼくが鬱になろうがパリピとして生きていようが、この実家は母親の棲家であって
過去がどうであろうがぼくは現状をここを母の居ぬ間にて間借りしているアリエッティ。

しのごの言わずに自分の世界観の中で、「女々しくも残し続ける/そのために使い続ける」という未来を選択するしかなさそうです。

古物商やっててよかった。
空き家の再生やってよかった。
捨てない!!その方法論を生業をとおして向き合っていこう。


これまでたくさんのモノを手放した。
会社も、モノも、人も、数え切れないほどのやり直したい瞬間も。
ポジティブにひっくるめて、結論的には、だからいまが在るのだ!!と。

ジンベイが「失ったモノばかり数えるな!」と兄エースを失ったルフィに叱咤するあの言葉のように。
ぼくにいま「在る」を数えても、それは数え切れないほどなのだと。

坂勘朝一の風景-4

ぼくにはいま、残したい風景も、使い続けたいモノも、失いたくないと思う人たちもたくさん在るんですね。

京都の家のことも、街の風景も。
それらは青春という陶酔してしまいそうな過去というセピアな哀愁が漂う幻想なのでしょう。
ぼくがいま凝視すべき世界は、多分ここではない。

なにかを手放すとか、何かが変わることを許容するって、少し成長したような気もしつつやっぱりなんだかセンチメタルだよね。

そんなことを繰り返しながら、ぼくたちはまた一つ、歳を取る。
そんな新年が始まりました。

愉しそうな未来への仕事始めは10日から。
やること盛り盛り。鬱とか言ってられないな、、笑

ここまで読み進めてくれた、あなた!!
ありがとう。
同じ世界で、同じ時代を過ごそうじゃないか♪

今年も、よろしくね!

2022年1月8日
写真とテキスト:たつみかずき

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