オリジナル掌編小説『泡よりたしかに、恋したままに』×オリジナル曲『恋海信号』

9月2日公開!
ソノヒグラシ最新作 小説×音楽 連動作品!
小説 著Tatsumi 『泡よりたしかに、恋したままに』
楽曲 作詞作曲:七茶 『恋海信号』
楽曲もこちらのページからお聴きいただくことができます!ぜひ二つを合わせてこの作品の世界観をお楽しみください!

オリジナル曲『恋海信号』

https://youtu.be/CerYrS5Wl3U

小説『泡よりたしかに、恋したままに』

―綾音〜〜〜
 ごめん、また喧嘩した

25度に設定されたエアコンに冷やされながらの午前2時。比奈子からのメッセージ。

―明日4人で集まるのちょっと気まずいかも
―うん、全然大丈夫だよ

「いつものことじゃん笑」とはさすがに付け加えない。親しき仲にも礼儀あり、だ。
そして内心ちょっとだけ喜んでしまったことも、秘密。それはもちろん、人の不幸を喜ぶとかそういうわけではないのだけど。

―今回は何があったの?

明日地雷を踏むことがないように状況を聞き出しておくのもいつも通り。一度盛大に地雷を踏んで暑さなんてどこかへ消え去ってしまうような気まずさを味わってからは、絶対に理由を聞いておくようにしている。それと彼女の言い分を聞いておくことは、後ほど開催される作戦会議には欠かせないことだから。

私と比奈子と颯太と祐樹は大学1年の時にクラスで知り合い、よく一緒にいるようになった。そして梅雨入りするかしないか、という頃に比奈子と祐樹が付き合い始めた。比奈子はクラスの中でも際立って可愛かったし、祐樹もいかにもモテそうなタイプで、付き合い始めた頃はクラスメイトたちに美男美女カップルともてはやされていた。そんな美男美女へのやっかみもあったのだろう、クラスの大半はどうせすぐ別れるだろ、という意見が占めていた。出会って2ヶ月で付き合い始めるなんて中身も何もなく、ただルックスで惹かれあったようなもの、大学生の夏を楽しく迎えるための娯楽、「熱しやすく冷めやすい」の典型だろうと彼らは思っていた。
でも彼らの予想に反して二人はそれから一年以上、今に至るまで、たくさんの喧嘩やすれ違いを乗り越えながらずっと別れることなく一緒にいる。私も正直、ここまで長続きするとは初めは思っていなかった。初めのうちは二人の喧嘩を見るたびに別れるんじゃないかと冷や冷やしたけど、そのうち「ああ、これが二人の在り方なんだな」と特別心配することも少なくなった。炭酸飲料を開けるとき、毎回プシュっと音がして少しひやっとするけれど、でも結局ほとんどの場合は吹き出すことがない、みたいな。
それでも喧嘩をされていると四人で一緒にいるときに何となくぎこちない空気が流れ、いくら慣れたとは言っても、味わわずに済むのならできるだけ味わいたくはない。だから私と颯太は、二人が喧嘩をするたびに、いかに地雷を踏まずに乗り切るか、二人にさっさと仲直りしていただくか作戦会議を開催するのだ。

―祐樹が私のことうるさいって

ああ、今回はそのパターンね、ともはや専門家同然の私は思う。比奈子が母親顔負けの口煩さで祐樹に何かを口出しする。祐樹は祐樹で反抗期の息子ばりにそれを鬱陶しがる。これもいちゃいちゃのうちなんじゃないかとさえ思えてくるくらいには微笑ましい。

―もういっそのことそういう夫婦漫才ってことにしちゃえば()
―こっちは至って真面目なんです〜
―多分祐樹がまだ反抗期なだけだよ

まあ、真面目だから喧嘩になるんだろうな、多分。比奈子はそれこそ祐樹の母親がそうするみたいに祐樹のことを心配して口煩くするから、祐樹もそれが本当に煩く感じるんだろうな。

―はぁ、どうしよ()
―大丈夫だよ、きっとまたすぐ仲直りできるよ
―そうかなぁ
―そうそう、これまでだってそうやって仲直りしてきたんじゃん笑
―まあたしかに

私は適当に励ますようなクマさんのスタンプを送って比奈子とのやりとりを終える。
さて、ここからが本題。そろそろ電話がかかってくる頃合い。

サイダーをマグカップに注いで自分の部屋へ。

ちょうど一口、口に含んだタイミングでスマホが振動する。ごめんね、比奈子、と思いながら私は正直この時間を楽しみにしている。颯太から、いかに二人の地雷を踏まないようにするか、そしてちゃっちゃと仲直りしてもらうかを話し合うために電話が来る。
あの二人が喧嘩をすると、颯太と二人で電話ができる。気まずい空気に耐えてるんだから、これぐらいの楽しみを見出すのは許してほしい。


「もしもし」
「あ、颯太?」
「うん、聞いた?比奈子から」
「聞いた聞いた、また喧嘩したってね」
「1週間に一回くらい喧嘩してんじゃね」
と言って君は笑う。

「祐樹は?どんな感じだったの?」
「あ〜、まあいつも通りって感じかな。比奈子が母親みたいにしつこくてうるさいって。そっちは?」
「比奈子もおんなじようなこと言ってたかな」

あの二人、よく喧嘩はするし、喧嘩している間の空気の悪さは相変わらずだけど、言い分が食い違うことはないのがいいところだ。どっちも素直で嘘をつかない。だから多分本当は、情報共有なんてなくても、あまり困らないのだろうと思うけど、それには気づかないふりをしている。そもそも喧嘩のパターンも数パターンしかないので作戦も何もない、というのが正直なところだ。

「でも今回は何をそんなに口煩く言ったの?」
と私は比奈子から聞き出し忘れたことを聞く。
「なんか生活習慣が乱れに乱れてるのを直した方がいいって言われたとかなんとか」
「うわ、それただのお母さんじゃん」

と言いながら私は、まさにさっき、夏休みになったからって夜更かしばっかりするなと釘を刺さしてきたばかりの自分の母親を思い起こす。母親だってなんだかんだで午前2時まで起きてるじゃん、と言い返したくなったけれどこんな時間から喧嘩をしたくもなかったので黙っておいた。

「うん、まさに口うるさいタイプの母親って感じするよね」
「さっき私もお母さんに言われた〜」
「ああごめん、そういうわけじゃなくて」
「いや、実際うるさいなと思ったし」

なんて言って君と二人で笑う真夜中。電話越しでいつもと少し声質の違うその声。電話の少しレトロな歪みが、君とつながっているのだということを感じさせてくれる。

「でもそんなことで喧嘩するなんてもはや可愛く思えてくるよね」
「でた、女子大生すぐなんでも可愛いに終結させるやつ」
「えー、実際可愛いんだからしょうがないじゃん」
「まあ子離れできない母親と絶賛反抗期の息子、って感じがして微笑ましくはあるけど」
「あ、めっちゃわかる!祐樹絶対反抗期だよね!」
「だって普通にそんな程度じゃ喧嘩にまではならないだろ」
「たしかに颯太だったら喧嘩にならなさそう」
君は優しいから、という言葉は飲み込む。こういう言葉をさらっと伝えられないから、私はダメなんだ、と思う。

う〜ん、どうかな〜、と言いながら苦笑い。
「やっぱあの二人はあの感じでないとね。喧嘩も含めて好きのぶつけ合いって感じするよ」
「まあそっか。あんなふうに反抗期されてる方が比奈子も比奈子でちょっと安心するのかもね〜」
逆にさ、と君は言う。
「綾音はどうなの」
「何が?」
と私はあえて聞き返して、なかなか炭酸の抜けないサイダーを流し込む。
ほら、祐樹みたいな感じのさ……、と微妙に気恥ずかしそうに、日差しの眩しさに目を細めるみたいにほんの少しだけ遠慮がちに投げかけられる言葉。恋話にいつまでたっても慣れないタイプ。
「あ〜、まあ何考えてるのか分かりやすいのはいいと思うけど。でもあそこまで反抗期だとな〜」
と笑う。やっぱ何事もほどほどが一番だよね、と付け足す。
「たしかに、ほどほどが一番かもね」
と君が言ってから、私と君の今の距離感は、ほどほどというやつなのだろうか、とふと思う。ほどほどに、心地よい。ほどほどに、お互いの心の穴を埋める。この先、もう一歩前に進んだ時に、ほどほどがほどほどでなくなってしまうのだろうか。そうしたら、お互いにとって一番ではなくなってしまうのかもしれない。それが、怖い。その恐怖が、冷たい水のように私の肺を満たす。
私は君のことが好きです。君は私のことを、どう思っていますか。そんな難しくもなんともないはずの言葉たちが、言えない。もっといろんなことを話してきたのに、比奈子と祐樹が喧嘩した時の対処法とか、将来の夢とか、人間関係の悩みとか、そんなことも話して、それなのに、その言葉が言えない。急に海の中で溺れてしまったみたいに何も考えられなくなって、言葉は全て泡になって私から遠く離れていく。

恋って海みたいなものなのかもしれない。
空の中を落ちていく、というより、海の中に溺れていく。
酸素が薄くて息苦しい、というより、肺が水で満たされて息ができない。
虚空を眺める、というより、目が開けられない。
もがけども、もがけども、苦しい。
君が、私の手を掴んで、助け出してくれるまで、
私はこのまま。

物思いの海に沈みかけて、電話越しに聞こえた君の声に引き戻される。

「聞こえてる?」

「あ、ごめん、ちょっとうとうとしてた」
「だと思った」
「なんて言ったの?」
「いや、あの二人にはあれがほどほどでちょうどいいんだろうなって」
「そうなのかもね。巻き込まれる方の身にもなって欲しいけど。ちょっとぐらい成長しろ!って時々突っ込みたくなる」
「たしかになぁ、成長しないね、あの二人」
ふふっと君は優しさで包み込むように笑った。

そして、
「ほんとに、2回目の夏だってのに全然変わらないよなぁ」
とぼやく。

私も、2回目の夏なのに全然変われてない、全然、少しも、ほんの一ミリだって。
海の中から少しでも顔を出して、目を開けて、君の方を見る、それをするのが怖いまま。もしかしたら、頑張って目を開けたその先に、もう君はいなくなっているかもしれないと思うと、このまま、溺れたままでいようか、と思ってしまう。

颯太と私の間に、ほんの少しだけ、細波みたいな沈黙が下りる。おきっぱなしのサイダーは、まだ小さく、泡の弾ける音を奏でていた。

「あのさ」
「ねえ」

重なった言葉。夏夜の虫の声よりはたしかなもの。
美しい海の中、君の姿も見えなくて、君の言葉も聞こえなくて、それでもそこに君がいるのかもしれないという泡を、私はたしかに感じ取った。

サイダーの中に弾ける泡よりは、本当であってほしいと願う、そんな夜の海。


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