見出し画像

8月1日公開『永遠を夢見て僕らは眠る』

今日は公開予定の作品について、少しだけ。

自分の作品にメタ的なこととかを忍び込ませるのは好きだけれど、他の人の作品を全てを全てそうやって受容していくと疲れてしまうからあまり好きではない、というわがままな人間なので、僕自身も僕の作品についてこう受け取れみたいなのは言いたくない、と思う。だから僕がこうやって作品について話をするときは「あーそうなんだねー」ぐらいで聞いてもらえたら嬉しいし、聞いてもらえなくてもいい。それに、僕が偉そうに自分の作品の含意について語っていても後付けだったりすることも往々にしてある。それはある意味僕が僕の作品を受容し直している、ということなのかなとも思ったりするわけで、それなら別にそれぞれの人がそれぞれに受け取ってくれればいい。このフレーズ、意味わかんないけどなんとなく響きが好き、でもいいし、このメロディーなんとなくいいね、でもいいし、もちろんメタ的なことをめちゃくちゃ考察してくれてもいい。なんでもいいけど、何かしらの形で、素敵だと思ってもらえれば嬉しいし、拒絶されたらそれはそれで悲しいけど、人間ってそういうものだと思うし仕方がないかなとも思う。

という嫌われてしまった時の予防線はさておき、本題に入ろうと思う。

『永遠を夢見て僕らは眠る』、というタイトル。大きく出たな、と思った人もいるかもしれない。でも僕的にはこのタイトルがしっくり来た。この作品は曲7曲と詩9篇からなる。これらの作品をつなぐ概念の一つが「永遠」だった。
なぜ「永遠」をテーマに取ったのかと言われると正直明確な理由はないのだけれど、僕は目に見えないものをずっと追い求めている、というのが一つの理由だと思う。永遠、それがあるのかないのかは僕たちには絶対に分からない。永遠を証明するためには「終わりが存在しない」ことを証明しなくてはならない。それは悪魔の証明だ。永遠を証明することはできず、それでいて否定することもできない。このことを考える一つのヒントを与えてくれたのが、昨年大学でファンタジー文学について学ぶ際に参考文献として読んだ大澤千恵子さんの『見えない世界の物語 超越性とファンタジー』という本だった。そこに書かれていた不在性の追求、これが今の僕の創作にかなり大きな影響を与えているように感じる。
たとえば悪魔を例に取るなら、「悪魔っていうやつがいるよね」と一人の人間が言った時、それぞれイメージするものは同じではない。さらにはその存在を信じない人もいる。つまりこの時の「悪魔」は話している人たちの中で共有されておらず、その存在は確かなものではない。その一方、「悪魔って今ここにはいないよね」と一人の人間が言った時、「ここにはいない悪魔」がその会話をする人間の間で共有される。この時それぞれの抱くイメージが共通である必要はなく、「ここにはいない」ことを共有することで僕たちはその存在を信じることができる。
こんな風に小難しく長々と書いたが、手短にまとめると「今ここにないもの」が今ここにないことを信じることで、「ここではないどこか」にそれが存在することを信じることができる、ということを今の僕は自分の中の一つの哲学にしている。そして今回の作品『永遠を夢見て僕らは眠る』も、その哲学の中で形作られた作品だ。

もちろんこの作品を完成させた時の僕と、今の僕と、未来の僕は異なる。いつか僕の中の哲学は大きく変わっているかもしれないし、表現したいことが変わっているかもしれないし、表現なんてしたくもないと思っているかもしれない。この作品の位置づけも、後から勝手に僕が変えているかもしれないし、そもそも受け手によっても違う。

だからこの文章も、僕がただ書きたいことを書いただけなのだけれど、もし何かを受け取ってくれた人がいるならとても嬉しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?