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仕事と家、分かってきたこと

ふと、分かってきたことがある。

仕事も家もしんどかった、その理由。

まず、仕事。
仕事とは、
「価値のあるものを提供することで達成感を得られる」
と気づいたのは働きだしてから数年経った時だった。
お金ももちろんモチベーションなんだけど、それだとこのしんどさや辛さを補うには足りない金額で、もう辛くて辛くて、転職とか辞めるとかずっと考えてた。
自分の中での達成感、いや、言ってしまえば「明日も明後日もその先も、この仕事続けてやろう」って思える原動力は、
「価値のあるものを他人に提供できた!」という手応えなんだと、働きだして数年、気づいた。

次に気づいたこと。
これは、本当に最近気づいたことなんだけど、
「手応えを感じられるほど誰かに価値があるものを提供できるようになるには、かなりの下積み期間が必要」ということ。

かなりの時間、といっても、
その期間がむしゃらに頑張りすぎると、どこかで燃え尽きてしまう。
かといって、やるべきことを無視してフラフラと続けていると、その先には不安定な足元の未来しか待っていない。

「がむしゃらに頑張った日々」と「やりたくないことを無視してふらふら続けてきた日々」
社会人になってからの私は、そのどちらかの状態でしかなかった。だから頑張りすぎるのも逃げるのも結果的にはどちらもしんどいのだ。

理想とするのは
目の前のことを、黙々と続けて
出来ないことには見栄を張らず
分からないことは調べ
手を広げすぎず
無駄に周囲にやる気ありますアピールもせず
誤魔化さず
一歩一歩進んでいく。

そう思うと少し楽になった。

立ち向かわなくてもいい、逃げなくてもいい。
合言葉は「頑張らない」

しんどい時は、実は向き合うことだけでなく逃げることにも頑張りすぎているのだ。

仕事に行く時、心の中で唱える
「よし、今日も頑張らない。カルチャースクール感覚でお仕事しましょ」

なんてね。


それは、仕事だけでなく家庭でも同じことだった。

家族の中が、なんとなくギスギスしたり、うまくいかない時というのは、「何かを頑張りすぎている時」だったりするのだ。

料理ちゃんと作らなくちゃ
整理整頓しなくちゃ
明るい家庭でなくちゃ

とかね。

でも別に、家の中で頑張らなくてもいい。

私と旦那は仕事してて
娘は保育所に行っている。

つまり、家族みんな社会に出ている。

社会に出たら、そこは会社だろうが保育所だろうが、厳しいことや辛いこと、頑張らなくちゃいけないことは嫌でも降ってくる。

社会に出てる、それだけで私たちは十分なんだ。

家の中くらいゆっくりしようぜ。
わざわざ家の中で頑張ること見つけなくてもいいんだぜ。

立派になんかならなくていい。
肩の力抜いて生きていきましょう。

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